恋のシナリオ
文化祭が近づくにつれ、校内はペンキの臭いと学生たちの活気で、
どこもかしこも普段の校舎とはまるで違った装いだった。
クラスの出し物の他に、各部活の出店もあったが、
特に予算枠の少ない文化部は、ここぞとばかりに部費捻出のために躍起になっていた。
日頃地味な活動をしていた、ここ文芸部も、
地味とはいえ、すずめの涙程度の学校の予算ではなかなか苦しいものがあったため、
文化祭では毎年、高尚な文学作品ではなく女子向け売れ筋の恋愛小説を自主販売していた。
文芸部部長のは抜け目がなかった。
青学の女子が求めるもの、それはテニス部レギュラー陣を題材とした、
ドリーム本の販売だった。
「ね!。一生のお願い!!!!」
は親友であるを必死で拝み倒していた。
「あのね、。
確か去年もそう言った…。」
「じゃ、じゃあ、後生のお願い!!」
「それは一昨年言った!!!!」
「もう金輪際言わないから…。」
「よく言うわ。今年で最後じゃない?」
は1年の文化祭の時に、ふと悪戯心も手伝って、
ついの悪巧みに乗せられてしまった事を後悔していた。
ペンネームだから誰にもわかりっこないし、
何より、の文才は私が保証する、
絶対売れるから、親友を助けると思って…。
そんな甘言にほだされ、そうじゃなくてもテニス部の中に好きな人がいたにとって、
ドリーム本を書くことはそんなに難しい事ではなかった。
いや、むしろ作品を作る間は楽しかった。
本の中では自分はいつだってヒロインになれたし、
最後は自分の思う通りのハッピーエンドになれる。
はついつい、片思いの鬱憤を晴らすかのように、
テニス部レギュラーをモデルに甘い話を書いてしまったのだ。
ところがそれが爆発的に売れた。
青学の女子にとって、それはまさに自分たちの夢だった。
こうなればいい、こう囁いてもらえれば嬉しい、
私だけを見つめて、多くの女の子の中から私だけを選んで…。
そういう思いが多くのテニス部ファンを魅了してしまったのだ。
昨年はとうとう3作も書かされる羽目になり、
は文化祭当日まで徹夜続きだった。
「今年もみんな楽しみにしてるのよ!
今じゃ他校の女子も買いに来るし、
何より今年入学してきた1年生が楽しみにしてるんだから…。」
「だけど、今年は私、クラスの出し物の準備で急がしいんだけど。」
「お願い!!
の衣装、私が責任持って手伝うから!!」
そこまで言われてしまえば引き受けるしかないだろう。
大体はお願いされると断れない性格だったし。
ま、押しに弱い事をは重々承知の上ではあったのだが…。
********
結局今年も文化祭当日の明け方まで睡眠不足の日が続いた。
出来上がった作品は、の手伝ってくれたの衣装と交換だった。
「、ほんとにあんたって最高!!」
「う〜、今年も私は最悪。」
「ほらほら、そんな事言わないで。
の衣装、サービスしてあげたから感謝しなさいよ。」
親友の言葉に苦笑する。
(感謝されて当たり前なのは私の方じゃないのかなあ…?)
ぼんやり考えながら受け取った衣装を広げて唖然とする。
「な、何、これ?
ちょっとすごすぎるんですけど?」
「いいんじゃない?
思いっきりフレアーを出してみたんだ。
メイドカフェにぴったりでしょう?」
ニヤッと笑うはさらに続けた。
「はかわいいんだから、こういうのが似合うのよ。
足もきれいだし、スタイルもいいんだから、もっと自信もちなよ。
ね、これ着たら、片思いの彼にもアピールできるって…。」
「…。」
「大丈夫、シナリオならここにあるじゃない!」
は受け取ったばかりの原稿を抱えたままVサインを出すと、
慌しく教室を出て行った。
後に残されたはため息をついた。
(シナリオがあったって、
その通りになんてできっこないのに…。)
********
のクラスはコスプレ喫茶だった。
女の子たちはかわいいアキバのメイド風、
男の子たちはちょっとキザなホスト風。
みんな楽しみながらやってたから、
最初は恥ずかしかったの衣装もだいぶ慣れてきた。
普段ストレートな髪も今日だけはクルンとカールされ、
ちょっと大げさなレースのリボンも好評だった。
普段以上にかわいいの格好に、男子はいつも以上に熱い視線を送っていたのだが、
忙しく立ち回るは全然気がついてない。
いや、むしろ、同じクラスの気になる人の姿が見当たらない事しかの頭にはなかった。
「〜、上がっていいよ!」
がいると売り上げが伸びるんだよね、と友達に言われ、
ついつい昼過ぎまで手伝ってしまったが、
やっと開放されて、は控え室である理科室へと向かった。
結局の想い人は、部の出し物の方が忙しかったらしく、
一度も3−6の教室には現れてくれなかった。
(ちょっとくらい見に来てくれるかと思ったのになあ。)
は理科室のドアのガラスに映った自分を眺めた。
我ながら、普段の制服姿よりも可愛く見える。
せっかく頑張って笑顔を振りまいていたのに、
なんだか骨折り損だったような空しさを感じてしまう。
(私ってバカみたい…。)
ガラスに映った自分に弱々しく笑みを向けて、
はドアを開けた。
自分の鞄の中から財布を取り出して、さて何を買いに行こうかと考えたのは一瞬で、
教室の一番後ろの席で頬杖をつきながら本を読んでる不二を認めるや、
は一歩も動けずに突っ立っていた。
(なんで、不二君がここにいるの?)
と、不二がゆっくりとの方に顔を上げると、
の心の声を読んだかのような返答が返ってきた。
「僕はもう上がりなんだ。」
不二はテニス部のレギュラージャージのままの格好だった。
「さんは?もう終わったの?」
はドキドキする心臓を押さえながら、
ぎこちなくないかな、と思いながら普通に喋ろうと努力していた。
「う、うん。
これからお昼ご飯になるものでも買おうかなあって…。
テ、テニス茶屋にも行ってみようかなって思ってたんだ。」
「そっか。今なら桃や越前がやってるよ。
でも、すごい人だからお勧めできないけどね。」
不二はクスッと笑った。
「毎年人気だものね、テニス部は…。
じゃあ、諦めるしかないかな。」
(なんだ、残念。不二君がいると思ったから行こうと思ったのに…。)
は小さくため息をついた。
「…不二君は、文化祭、見て回らないの?」
「うーん、見て回りたいんだけどね。
一人で出歩くと大変な事になっちゃうからね。」
「えっ?そ、そっか、それは大変だね。」
「うん。」
それっきり不二がまた手元の本に目を落としてしまったので、
は肩透かしを食らったかのように言葉に詰まった。
お昼、まだだったら一緒に食べない?とか、
文化祭、見て回ろうよ?とか、
浮かんでは消える頭の中の文字はいろいろあったけど、
そのどれも口に出す勇気はなかった。
こんな、2人っきりになれるチャンスなんて、
そうそうあることじゃないのに…。
そう思ってはみたものの、そのチャンスを生かす勇気は出なかった。
とはいえ、なんだかこのままこの教室から出て行くのも忍びない…。
は鞄の中から取り出した財布をぎゅっと握り締めたまま、
またそっと不二の表情を覗った。
「そう言えば、菊丸君は?」
「英二がどうかした?」
「えっ、べ、別に…。
ほら、菊丸君っていつも不二君と一緒だったから、
菊丸君のこと、待ってるのかなって。」
「僕は…本当は君が来るのを待ってたんだ。」
「ふ…じ…君?」
「僕は、君が僕のところへ来てくれるのをずっと待ってたんだよ。」
不二の言葉に何がなんだかわからず戸惑うだったが、
それでも不二の、本から目を離さない態度と、
抑揚のない台詞口調にどこか不快感がつきまとう。
(台詞…?)
ああ、そうだ、この文句に覚えがある。
は不二に近づくと、不二の手にしていた本を取り上げた。
そこで初めては不二が、の書き上げたドリーム本を読んでいたことに気づく。
「な、なんで不二君がこれを持ってるの?」
「これってすごい人気なんだってね?」
「人気って…、これ、不二君が読むようなものじゃないよ////。」
「どうして?」
「どうしてって…。」
(恥ずかしいからに決まってるじゃない!)は心の中で突っ込んでいた。
「これ、僕がモデルになってるって聞いたよ?」
「えっ!?」
「僕ってこんな風に見られてるんだなあって思ったら
ちょっと…。」
「ちょっと…? な、何?」
「うん? 気・に・な・る?」
「…そ、そりゃあ。」
「これを書いたのが…キ・ミ・だから?」
何もかも見透かされてるようで、はみるみる真っ赤になっていた。
勝手にモデルにしたのを不二は怒ってるのだろうか?
不二の事が好きで好きでたまらなくて、
でもクラスメイト以上になるなんて無理な事だと思ってたし、
だからこそ現実ではあり得ない事を自由に書いて、
その間だけは幸せな気持ちでいられた。
だけど、不二にしてみれば、こんな滑稽な話はないのかもしれない。
こんな形で不二に軽蔑されてしまうなんて…。
はひどく狼狽した。
「ご、ごめんなさい。
まさか、不二君の目に触れるなんて思わなかったから…。」
「クスッ。
僕、カマをかけただけなんだけど。
そっか、やっぱりさんが書いたんだね?」
不二の悪戯っぽい笑顔に思わずは自分の口元を手で覆う。
「普通だったらさ、僕が君を待ってた、なーんて言ったら、
ほとんどの子は嬉しがるものなのに、
さんは反応が違ったから。」
「そんな?!」
「と言うのも嘘!
1週間前位から、さんとさんの様子を見ていたらなんとなくね。
さん、クラスの事より文芸部の方の事で頭が一杯だったから。
で、これは英二に借りたんだ。
お姉さんに頼まれて買わされた、って言ったから読ませてもらったんだ。」
は返す言葉がなかった。
「ね、この話って君の願望だったりする?」
「ま、まさか////。
それはに頼まれて…。」
そう誤魔化してみたところで、赤くなっているだろう顔は隠せるはずもなく、
と言って、自分の願望だなんて不二に面と向かって言える筈がない。
「そうだよね。
この程度の願望で済まされちゃったら困るんだよねえ。」
不二は静かに立ち上がると、の両肩に手を置いて覗き込むように顔を近づけてきた。
鼻先と鼻先がほんの少し触れる距離で、は頭の中が真っ白になっていた。
「ふ、不二君?」
「君のシナリオ通りにはいかないけどいいかな?」
不二からの初めてのキスはとても唐突で強引だった。
の手から財布とドリーム本が床に落ちた。
けれど不二のキスは止まらない。
息が上手くつけなくては思わず不二の胸を押し返した。
不二は今度はをぎゅっと抱きしめてきた。
「僕の事、嫌いになった?」
耳元で囁かれては不二のジャージをそっと握り締めた。
「夢みたい…。」
「夢じゃないよ?」
「だけど、不二君は私の事、好きなの?」
「傷つくなあ。好きだからキスしたんだけど?
それともキスだけじゃ物足りない?」
「も、物足りなくなんかないです///」
「僕は物足りないんだけどね。」
サラッと答える言葉は刺激的で、
それなのにいつもと変わらない微笑を浮かべてる不二は、
なんだか自分の知らない不二のようだと思った。
「不二君のイメージ、随分違っちゃう。」
「ふふっ。
それは君がいけないんだよ?
こんな可愛い格好で僕の前に現れるんだもの。
もう、みんなの彼氏でいる気はないからね。
だから、さんも本当の僕の姿に早く慣れてね?」
「本当の不二君って、どんな?」
「そうだな、例えば、キス魔な僕!」
そう言うと、不二はまたの唇に軽くキスをしてきた。
「!?」
「さ、文化祭、一緒に回ろう?
すごく楽しくなりそうだ。」
不二はの財布を拾い上げると、
の肩を抱きながら、歩き出した。
文化祭の午後、これから始まる恋のシナリオが、
恐らくの想像を超えてしまうだろう事だけしか、
今のにはわからなかった。
恋のシナリオなんてね、いくらでも修正が効くんだよ
理科室の床に落ちたままののシナリオは、
不二の言葉によって、上書きされていくようだった…。
The end
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☆あとがき☆
文化祭って好きだなぁ〜。
あ、でももう時期的には過ぎちゃいましたかね?
10月はもっと他に書くものがあるだろう?と
自分に突っ込みを入れながらも、
ま、やっぱり不二が好きなんだから、
季節に関係なく愛を確かめたいと思うのでありました。(笑)
2005.10.10.