賭け事






期末試験の結果が中央廊下に張り出されたと
クラスの男子が慌てたように教室に飛び込んできた。

その声にお互いに順位を競っていたらしいグループの面々が
色めきたってがたがたと大きな音を立てながら廊下に飛び出して行った。

全く成績で賭け事をするなんて、と眉を顰める何人かを尻目に
私もゆっくりと席を立った。

賭け事と言ったって、恐らくは負けた人が勝った人に
学食のデザートでも奢らされるという位の可愛いものではないかと
何を大袈裟なと思ってしまう。

私なんてそんな可愛い賭け事なんかじゃない。

これで負けたら何も始まらないのだから。


中央通路の半ば頃に大きな掲示板がある。

その端から端までずずっと長く張り出されている白い紙に
今学期頑張ったであろう生徒の名前が点数順に書き出されている。

今時こんなにはっきりと情報公開してしまう学校なんてないだろうに
と思うけど、特に反論する生徒も父兄もいないのか
この栄誉ある伝統風景は脈略と受け継がれているようである。

といっても張り出されるのは全校生徒の10%にも満たない訳だから
その名前は点数化されなくても恐らくはあの子とあの子は入っているだろう、
位の情報は張り出されなくとも分かる情報なので、
みんなの関心事はやおら新規の英雄が現れたかどうかになる。

だから、常連ではなかった彼がここの所この白い紙に常時名前が載っているのは
本当に驚くべき事なのだけど、それによって彼の人気に拍車が掛かったのは
言うまでもない。











 「ねえねえ、知ってる?
  1組のさん、幸村君に告ったらしいよ?」

 「え〜、さんじゃあ、うちら勝ち目ないじゃん。」

聞きたくもない情報はいつも勝手に耳に飛び込んで来る。

 「それが断られたらしいよ?」

 「そ、それはまたなんで?
  さん、めちゃめちゃ可愛いのに。」

勝ち目がないなんて言ってた割りにフォローする級友たちは
ミス立海に選ばれた事のある彼女なら仕方ないと思っていたらしい。

 「なんかね、幸村って自分より頭のいい子が良いんだって。」

 
その言葉に私は目が点になる。

さんって言えば中学の頃は確か生徒会も努める成績上位の子だったはずだ。

確かに高等部は圧倒的に男子が多く、
持ち上がりよりも外部生の偏差値は県下NO.1だったから
中等部で成績が良い女子が高等部で上位に食い込める隙はなかった。

加えて言うならば、幸村はいわゆるテニスバカのひとりだったから
中等部では成績上位にその名前が出た事は一度もなかったはずだ。

その矛盾した物言いに私は
断るにしてももっと感じのいい断り方があるだろうにと
どういう性格をしているんだと苦笑してしまった。

それが高校入学した頃の事だった。

それ以来幸村が常に柳や真田と混じって
この成績上位者の紙の右端の部分に
堂々と名前が載るようになっていたのには正直驚いた。

それは妙な事だと思ったけど
彼流のやり口で過剰な告白劇に一線を引いているようにも思えた。








掲示板の前にはすでに黒山の人だかり。

白い紙の端は見えても名前までは見ることもできない。

苗字の頭の部分だけでも見ることができれば
この立海大に自分しかいない苗字を識別する事は可能なのに。

それなのに1位から10位辺りの前で仁王立ちしている後姿の中に
テニス部の柳と真田の背中を見つけてため息をついてしまった。

彼らがそこにいるという事は
図らずもまた上位はテニス部のメンバーで固まっているのだろう。

次の休み時間にでも出直して来ようかと踵を返そうとした所で
不意に誰かに腕を掴まれて引っ張られた。

 「蓮二、前がよく見えないから通してくれないか?」

わざわざ柳と真田の間を通り抜けなくてもいいんじゃないかと思いながら
聞きなれたその声の方を見上げれば
憎らしくもかっこいい幸村の横顔があった。

 「ああ、幸村か。
  今回は随分頑張ったんだな?」

 「別に。俺が本気出せばこんなもんだろ?」

引っ張り込まれて幸村と柳の間にいる自分は
何がなんだか分からなくて、視線を掲示物に走らせて見るけど
どうしても未だに掴まれてる腕の方に気を取られてしまって
情報としての文字の羅列が頭の中で構築されない。

 「見える?」

幸村の笑いを含んだ声に上手く返事もできない。

私、動揺しすぎだ。


 「今回の期末は教科によってかなり平均点に差が出たから
  順位の変動も凄いものだな。」

 「そうだね。今回は文系有利って言われてたから
  俺は随分不利だったんだよ?」

見た目文系ぽい幸村が実は理数系が得意なのはあまり知られていない。

そんな事をちらと思いながらも私は必死で自分の名前を探した。

この立ち位置では10位以下は見えづらい。

柳の胸の辺りからそちらの方へ顔を覗かせようとしたら
幸村の左手が私の腕から頭へと移動した。

くしゃりと髪を撫でられたかと思うと
その手は私の頭を幸村の体に引き寄せてきた。

 「ちょ、ちょっと・・・?」

 「謙虚だな、
  自分の成績に自信がないの?
  ほら、君の名前はこっちにある。」

幸村の右手が真っ直ぐに明らかに成績上位者の方向を指し示した。

自信がなかった訳じゃない。

今回はかなり頑張ったのだ。

だけどまさか自分が女子で初めての快挙に名を上げたとは思っていなかった。

むしろ驚いたのは自分の名前の横に幸村の名が並んでいた事だった。


 「なかなか良い眺めだね。」

屈託なく笑う幸村と違って
こっちはどさくさに紛れて余りにも近い距離におたおたしている。

1年の時からずっと幸村の順位を目指して頑張ってきた私だったけど
いつもいつも幸村は私よりも数段上の順位に輝いていた。

追いつけど追いつけどあざ笑うかのように逃げて行く。

こんなに必死になって勉強するのは一生のうちで今だけのような気分だった。

それなのに実際の幸村は今は私の隣にいる。

有り得ない距離にドキドキしているのだけど
それを知られたくなくて精一杯の虚勢で自分の順位を口にしていた。

 「ろ、6位・・・?」

 「の追い上げは凄いね。
  確か中間は17,8だったよね?
  危なかったなあ、1点違いで俺は5位。」

幸村を追い抜く事ができたら告白しようって決めていたのに
後もう一息のところで幸村は私に捕まってくれなかった。

それがたまらなく悔しかった。

 「俺を抜けなくて悔しいって顔してる。
  でも、、頑張ったからご褒美あげるよ。」

そう言った幸村の顔が私に近づいて
あっと思う間に私の唇に柔らかい物が触れてきて、
左耳には「仕様のない奴だ。」という柳の呆れた声が、
そして右耳には「たるんどる!」という真田の決まり文句が入って来た。

一気に顔が火照るのが分かった。

好きな人に認められるのは嬉しいけど
こんな形でキスされた私には幸村の気持ちが見えない。

嬉しいと思う気持ちとなんで?という疑惑の中で
呆然と固まっていたら傍らに立っている柳がため息をつきながら助け舟を出してくれた。

 「幸村、には伝わってないみたいだぞ?」

 「えっ、そうなの?
  フレンチじゃだめだった?」

 「そういうことじゃないだろう?
  ふざけるのも大概にしろ。」

真面目な真田が呆れたような声で咳払いなんてするから
余計に恥ずかしくなる。

私、二人にファーストキスを見られていたんだ。

まるで幸村にからかわれてる様な扱いに
好きな人とキスをした事実よりも
そっちの方がショックでじわじわと涙さえ浮かんでくる。

これって賭けに負けた罰なんだろうか?


 「え〜、だって俺だってずっと我慢して勉強してたのに。
  このくらい・・・。」

不満そうな幸村の口調に悔しさは倍増。

なんだ、ストレス解消の種にされたんだ、と思ったら
もう我慢できなくて涙はポタリポタリと溢れてくる。

人前で泣くなんてこんな恥ずかしい事はないから
涙を拭く行為はできずに俯いたまま。

 「うわっ、、泣いてるの?」

 「幸村が泣かせたな。」

 「全く、何をやってるんだ。
  救いようがないな。」

 「なんで俺が責められるんだよ。
  俺が悪いみたいじゃない?」


自分が悪いなんて微塵も思ってないのか、と
思ったらさらに憂鬱になる。

幸村は凄くもてるけど今まで彼女がいた試しはない。

と言って硬派と言う訳でもない。

誰にだって優しいし、誰とだって仲がいい。

きっと女の子と手を繋ぐのだって平気だし
キスを仕掛けるのだって平気なんだ。

でも私は違う。

一生懸命背伸びして、自分にプレッシャーをかけて
好きな人の望むような形でありたいと努力する。

好きじゃない人のために頑張ったりしないし
ましてや好きでもない人とキスをしようと思ったりしない。

もし私が男子だったら、好きな女の子のことは凄く大事にする。

こんな軽はずみに、成績表の張り出されてる廊下でなんて
絶対キスなんてしない。


 「、なんで泣くんだよ?」

 「さ、最低・・・。」

 「ええっ!? 何、も俺を責めるの?
  だって、俺の事、好きなんだろ?」

私の気持ちがバレテル?

そう思ったらさらに顔が赤くなったのがわかった。

もうこんなバレバレのグチャグチャな顔を人前に晒せるはずもない。

 「好きじゃない。
  勝手な事言わないでよ!」

 「えっ?でもそう言う割には顔が赤いよ?
  なんか、説得力ないけど?」

 「わ、私がいつ幸村の事好きなんて言ったのよ?
  こんな所でキスしてくる奴なんて大嫌い!」

頬を伝う涙と一緒に手の甲で唇をごしごしと拭う様をしたら
その手首を思いっきり強く掴まれた。

 「ふーん、こんな所、っていうのが気に入らなかったんだ。」

 「なっ!?」

 「じゃあ、話は簡単。
  どっか別の所に行こうか?」

人の話をまるで聞いてない幸村は
恐ろしいくらいきれいな笑顔を顔に浮かべている。

ふと合ってしまう視線に吸い寄せられてしまう私は
やっぱり幸村が好きで、情けない事に大嫌いと啖呵を切ったものの
掴まれている手を振りほどく力は全く出て来ない。

 「、お前が好きな奴はこういう奴だ。
  諦めるんだな。」

柳の声に驚いて顔だけ柳の方に向けた。

柳は困ったように眉間に皺を寄せていた。

 「俺のデータに間違いはない。
  付け加えれば、これでも幸村の暴走を食い止めていたんだがな。」

 「暴走だなんてひどいな。
  柳たちの妨害だと俺は思ってるけど?」

 「何にしてもここまでだ。
  約束は約束だ。」

 「ふふっ。俺って偉いだろ?」

真田が今日一番の盛大なため息を吐くと
幸村は私の手に自分の指を絡めてきて
じゃあ、行こうか?なんて言いながら歩き出した。

引っ張られるままに歩き出せば
成績を見に来ていた生徒たちが呆然と私たちを見送っている事に気づいた。

結局、真田や柳だけでなく
ほとんどの生徒たちに自分たちが見られていた事に思い当たると
今すぐにでも有体離脱したい気持ちだった。





校舎の最上階にある視聴覚教室は
昼の日差しが隅々まで入って来ていたから
暖房はしていないのに普通教室より明らかに暖かかった。

だから、教室に入るや幸村に抱きしめられて、
抵抗むなしく視聴覚教室の絨毯に押し倒されている今の状況は
むしろ暑苦しいと言ってもオーバーじゃないと思う。


 「ゆ・・・き・・・。」

 「ごめん、誰もいないとほんとに暴走しそうだ。」

そう呟いた幸村は自分の体を私の体にそっと預けて来た。

不思議と怖いとは思わなかった。

相変わらず胸の高鳴りは止まらなかったけど
静かな教室で幸村の体を受け止めてしまったら
なんだか幸村の鼓動の早さも手に取るようにわかってしまった。


 「俺、の事、すっごい好きだ。」

 「嘘・・・。」

 「ほんと。
  柳がは俺の事好きだから安心しろ、って。
  それで1年も我慢させられた。」



 「・・・高校に入ったらに告白するつもりだったのに
  に先に告白されちゃってさ、
  俺よりもいい順位だったら付き合ってもいいよ、って、
  ああ、これも正確には柳の提案だったんだけどさ、
  今から考えるとその時からあいつらのいいなりだったんだよな、俺。」

幸村は体を起こすと私の額に優しくキスをした。

 「始めは虫除けにいい断り文句だと思ったけど
  それじゃあとも付き合えなくなる。
  だから、柳と真田に、5位以内に入れたら
  との交際を認めてよ、って約束させたんだ。
  おかげで本気で試験勉強させられたけどね。
  真田なんて俺に抜かせまいと必死だったし。」

くすっと笑うと今度は瞼に、そして頬にキスをしてきた。

 「も一生懸命俺を追って来てると思うと嬉しくてさ。
  5位になりさえすればとキスできる、なんてさ。
  試験のたびに今度こそはって。
  を抱く夢をずっと見続けて苦しかったんだ・・・。
  ねえ、キスしていいよね?」

 「あっ////」

返事を聞くまでもなく幸村は唇を重ねてきた。

何度も角度を変えながら
幸村の攻めのテニスに似てるようなキスは
息をつく暇も与えず、五感を麻痺させるような激しいキスだった。

幸村も私の事が好きなんだと思ったら
また涙腺が緩みそうだった。

 「もう我慢できない。」

幸村の吐息が異常な位熱い。

幸村の指先が私の制服のボタンをはずし始めたのと
授業の始まるチャイムが鳴ったのはほぼ同時だった。

見上げると切なさに目を細めてる幸村の表情が艶っぽくて
それがどういう状態を指し示してるのか分かってしまい
なんて言えばいいのかわからなくて幸村から視線を外した。

そうしたら幸村は残念、と心残りの自分を笑うように呟いた。


 「、次の授業何?」

 「す、数学。」

 「俺は物理だったかな。」

幸村は潔く立ち上がると私に手を貸してくれた。

そして私の歪んだネクタイをさり気なく直す幸村は
まだ火照っている私の頬にチュッとわざと音を立ててキスをした。

 「もう!」

 「俺のために授業サボらない?」

 「な、何言ってるの///?」

 「、真面目だからなぁ。」

 「幸村がこんなに不真面目だとは知らなかった。」

 「あはは。俺、結構不真面目だよ?
  だから柳とかが目くじら立てて俺の事すぐ監視して来るんだぁ。」

と言いながらちっとも苦にしてない様子に
柳たちの苦労を思い図って私は苦笑するしかなかった。

 「ま、でも今度からはと一緒に試験勉強できるから
  勉強もさほど嫌じゃなくなるかもしれない。」

 「そんなに嫌なの?」

 「面倒臭い。」

 「呆れた。」

 「次の期末の時は俺んちに泊まりにおいでよ?
  そうしたら勉強の合間にの事抱けるし?」

 「ば、バカ!」


そんな事したら次の期末は絶対順位が下がるだろうと思う。


柳の『そんな奴を好きになったお前が悪い』という言葉が
なんだかいつまでも頭の中でグルグル響いてきて
午後の授業は頭痛で全く頭に入って来なかった。



幸村と付き合うのは体力的に大変な事だと知るのは
次の期末試験の前日の事だった・・・。








The end

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☆あとがき☆
 私、幸村の成績は決して悪くないと思ってます。
実力あるのにあんまり成績は気にしてないって言うか
面倒臭くてわざとしないって言うか・・・。
だから本気出せばすっと上位に食い込めるけど
でも柳の方が断然トップのような気がします。(笑)
2008.11.25.