彼の本気を疑うな 2
のいる1組から6組に行くにはかなりの距離を歩かねばならない。
考えてみると、が不二のいる6組に自分ひとりで行くのは初めての事。
こうしてお弁当を持って廊下を歩くのはみんなも普通にやる事だと思うのだけど、
なんだか他のクラスの人たちに自分だけはじろじろと見られてるようで気持ちのいいものではない。
自然とお弁当を後ろ手で隠してしまうは顔も俯き加減になってしまう。
そうしてようやく辿り着いた6組の後ろの入り口からそっと中を覗くと
ちょうど教室の真ん中あたりで不二が女子に囲まれてるのが見えた。
やっぱり、と思ってしまう光景。
相変わらずの人気ぶりに本当は目を背けたくなるのだけど、
嫌な顔せずニコニコしてるその穏やかな不二の横顔はいつ見ても惹かれてしまう。
あれは単なる不二の社交辞令の、偽りの優しさから出てる笑みだとしても、
が好きになってしまった表情に変わりはない。
あんな表面的な笑顔のどこがいいのよ、とは笑うだろうけど、
にしてみればあの笑顔だって今までずっと
自分の方に向けられてくれれば嬉しい、と思っていた笑顔だっただけで。
ただ今となっては、周りのみんなにあんな表情を未だに惜しげもなく見せる不二が恨めしい。
自分を特別だって思ってくれるなら
周りの女の子たちには、もう優しくなんてして欲しくないと思ってしまう。
そんなわがままが通るはずはないだろうけど。
「意外な人、発見!」
肩をポンと叩かれてほんの少し飛び上がってしまったを
人懐こい大きな目が笑って出迎えた。
「き、菊丸君。」
「どうしたの? 不二に用?」
「えっ、あ、そ、そうなんだけど、
なんか忙しそうだからまた後にする。」
しどろもどろになるは不二と目が合いそうになって
慌てて廊下に引っ込むと6組に背を向ける。
「え〜、後にしちゃったら、お弁当食べられないんじゃないの?」
何もかもわかってる、そんな顔の菊丸には
お弁当を後ろに隠してる意味なんて丸っきりない事に気づいていたけど
あの輪の中に入って行って、不二を誘うのは自分には到底無理だと思った。
菊丸は教室に視線を移すとやれやれといった顔をしてを見た。
「さんさ、何遠慮してんの?」
「え、遠慮なんて全然してないし。
むしろ遠慮するのはあっちの方だと思う。」
「あっちって?」
菊丸は好奇心剥き出しの目で面白そうに聞いてきた。
「ううん、何でもない。
菊丸君、聞かなかった事にして?」
とても言いにくそうにが応えれば菊丸は反対に
それ、不二が聞いたら機嫌直るからさ、と小声で囁くと、
の手首を掴んで遠慮なしにさっさと6組の教室へと入って行く。
「ふっじ〜、お昼誰と食べんの?」
菊丸の快活な声に不二の周りの女子がきゃーと騒ぐのが鬱陶しい。
とは瞬時に思ったのだが、菊丸の背中に身を隠したまま
でもその背中越しに不二が自分を見ているだろう事は直感的に分かった。
「そういう英二は誰と食べるの?」
思いっきり不機嫌そうな声に
の言葉に乗せられて安易にここまで来てしまった事を悔やんだ。
は不二がと昼を一緒に食べたそうだと言ってたけど、
不二は今周りにいる子達からきっと誘われていて
またあの優しい笑顔で快く了承していたのではないかと思った。
さっきまで機嫌良さそうに笑っていたのに
自分が来たおかげでぶち壊しだとでも言いたいのかもしれない。
「俺? 俺は大石でもいいし、タカさんでもいいし。」
「そう? それで?」
「あー、だからさー、さんがせっかく来てくれたんだからさ、
もうちょっと機嫌直してもいいんじゃない?」
「だったらその手はもう離してくれてもいいと思うけど?」
おおっと、そこ突っ込むのかよ、と菊丸が大袈裟に驚いての手を離す。
と同時に不二が菊丸を押しのけるようにしての目の前に立った。
不二は相当気分を害してるようだったけど
なんでそんな風に怒ってるのかがわからない。
こっちは仲直りのつもりで来てるのに
不二はまだ怒ってるのかと思うと何て言葉を掛けていいのかがわからなくなる。
それでなくとも周りの女子たちも自分に冷ややかな視線を送っているのがわかる。
不二に冷たくされるのは慣れているけれど、
自分の彼女が窮地に立たされてる気分なのにそれを救ってやろうと思わない不二に腹が立つ。
そんなに自分がこの教室に来た事が目障りなんだろうか?
そんなに自分の人気が大事なのだろうか?
「何か用? さん?」
不二の言葉には耳を疑った。
今まで呼び捨てだったのに、初めてさん付けされたんだ、と気づいたら、
その不二のよそよそしさに愕然としてしまった。
呼び方なんて何でもいいと思っていたはずなのに
いつの間にかという名前で呼ばれ慣れてしまっている。
違う呼び名で不二に呼ばれたことがショックだったなんて、
言うに言えない感情には眩暈のような不快感を覚えてしまった。
本当に不二のそばにいると自分がコントロールできない。
腹が立ったと思ったそばから今は悲しくて寂しいと言う気持ちに変わっている。
こういう時、何もかも吐き出せば気持ちが軽くなるという事を知っていても、
こんな大勢の、しかも不二に好意を持っている同性の子達の前で
自分の感情を曝け出すなんていう事はにはできない。
優等生なはありったけの理性で我慢している。
お弁当を持っている手が段々汗ばんできてもう逃げ出したいのに
その行動ですら理性が許さない。
「困ったな、こんなに我慢強いとは思わなかったな。」
独り言のように呟く不二の顔を睨みつけようと思ったけど
頑張って睨みつけたら涙がこみ上げてきそうで思わず横を向いてしまった。
なんてバカバカしい構図なんだと思った。
自分がここにいるだけで不二の機嫌は悪くなる一方で
我慢強いと言われたからにはまた不二に何か試されているんだと気づく。
そうやって人のことをからかってみんなで笑いものにすると言うのなら
もうそれで終わりにしてもいいとさえ思う。
結局不二はの手には負えないのだ。
「なんなのよ?」
「何が?」
「私にどうしろっていうのよ?」
口に出してみると声は掠れて弱々しく聞こえる。
理性で抑えていたつもりの感情が抑えきれなくなっているけど言葉に力が入らない。
不二と二人だけなら嫌味や文句は今まででも言っていたけど
それを第3者の前で、しかもこんな大勢の中で言う羽目になるなんて。
優等生だった仮面が崩れてしまう。
それもみんな不二が悪いのだ。
「そうだね、とりあえずもっとぶちまけてみたら?
スッキリするって思うけど?」
「そんなこと…。」
「かっこ悪すぎて嫌だ?
でも思ってる事はみんな言った方が楽だと思うよ?」
「ふ、不二君だって思ってる事全部は言わないじゃない?
今だって私には冷たい態度取るじゃない?
迷惑なら迷惑って言ってよ。
あっちにもそっちにもいい顔をして、
私なんていてもいなくても変わらなくて、
そういうの、私だって嫌なんだから…。
だから―。」
「要するには僕が他の女の子と親しくしてるのは嫌なんだね?」
畳み掛けるように不二がの言葉を遮って言った。
そんな事を言うつもりではなかったのに、とは俯けば
不二はさらにに近づくとの頬に手を当てて
力付くで上を向かせようとして来た。
「僕はいつだって思ってる事を言ってるよ?
ねえ、分かってないのはの方だ。
僕がどうして欲しいか、何て言って欲しいか、
それを今ここで言ってくれるかな?」
上を向かせられるのが恥ずかしくて
は不二の両手首に手をかけてその手をはずそうと試みた。
けれど不二の力に対抗できるはずもなく
赤くなっているだろうの顔は不二の両手に包み込まれたまま
不二と至近距離で見つめあう形になっていた。
「ふ、不二…クン。」
「そうじゃないだろ?
いつまでも言わないつもりならこの場でキスしてしまうけど?」
不二の本気の眼差しはに強制的は圧力をかけていた。
頬が熱い。
不二とキスするのは嫌じゃないけどこんな場所でなんて…。
でも不二ならきっとしてしまう。
彼の吐息が鼻先にまで感じてしまうこの距離で
彼の名前を呼べば開放されるなら、と負けてしまった。
名前を呼ぶ事を恥ずかしがる前に、この状況の方が遥かに恥ずかしい。
「しゅ…////」
「が好きな人の名前。」
「しゅう…////」
「物凄く好きでキスして欲しくてたまらない彼氏の名前。」
「バカ・シュースケ!」
そんな事思ってる訳ないでしょ、と抗議の声を上げる前に
不二に唇を塞がれてしまった。
それも息もできないくらい長い時間。
「ありえねぇ」とか「やだー」とか「すげぇ」とか「ショック〜」とか、
教室内がどっと盛り上がる喧騒の中で、
正面に見える不二の顔は見たことのない位満足げなきれいな笑顔だった。
「好きだよ。」
不二の声は周りがうるさくて聞こえなかったけど
本当に嬉しそうにしてる口元がはっきりとそう形作っていた。
「ふっじ〜!
見せびらかし過ぎだっつうの!!」
菊丸のおどけた声がすると初めて不二は今気がついた、と言わんばかりに
周りの子達に何か言ったようだったけど、
の耳にはもうハッキリとした言葉は入って来なかった…。
悟りの境地ってこういうのを言うのだろうか?
気がついたら不二に手を引かれて歩いている。
不二の左手に水色のお弁当包みがちらちら見えるから
食堂に向かっているのだとぼんやりは思った。
廊下の両脇や教室という教室のドアのいたる所に
興味シンシンで二人を眺めている女の子たち。
そっと不二の横顔を見上げればその子達に愛想を振りまく事はしてなくて、
でも先程同様嬉しそうな表情で鼻歌なんか歌っている。
ももう周りの女の子たちの事が気にならなくなっている。
ひそひそと噂されてるのはあまりいい気持ちではないけど
噂されるような余りにも凄い事を観衆の面前でしてしまっているのだから
もうそれは諦めるしかないことで。
頭の中でぐるぐると渦巻いてる言葉をまたそっと呟いてみたりする。
「バカ・シュースケ…。」
「バカは余計だと思うけど。」
ぎゅっと手を強く握り締められた。
「シュースケのバカ!」
「名前を呼んでくれるのは嬉しいんだけどね。
そう何回もバカバカ言わないで欲しいなあ。」
「バカ・シュースケ!」
階段を下りながらまた言ってみたら
不二がぴたりと足を止めての顔を覗き込んで来た。
「またキスしたい?」
「な、何言ってるのよ!」
「なんだかそう聞こえたから。」
「ふ、不真面目にも程があるわ!」
「やだな、言っただろ?
僕はいつだって本気だし、
言葉じゃなくて態度で示すよ、って。」
より階段をひとつ下りた不二は
簡単にの唇を掠め取った。
そして幸せそうに微笑む不二はまた鼻歌を歌いながら
ゆっくりと階段を下り始めた。
The end
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☆あとがき☆
なんだか「バカ・シュースケ」って無性に言いたかっただけです。
不二が名前を呼び捨てにさせるのは
彼女の特権なんだと思うけど
素直に言えないのよね。
えっ?誰がって?
私です…。(笑)
2008.9.5.