君がいる幸せ
試合が終わるたび僕はいつも観客席の最上段に目が行ってしまう。
今はいないはずの彼女の面影を
知らず知らず無意識に探している。
そんな自分に気がついて僕は
ロッカールームの鏡に向かって自己嫌悪に陥る。
ここにはいないけど
きっと彼女の事だから今も応援してくれてるんじゃないかな。
希望的観測に笑ってしまう。
彼女が今も僕の味方だなんて僕のエゴに過ぎない。
でも、決め付けている。
思い込もうとさえしている。
だけどそれを確かめる術はなくていつも落胆する。
がっかりしている自分の顔を見るのは
弱い自分を曝け出しているようで
試合後だというのに
勝利したというのに、いつも気分が悪い。
それならなぜあの時、彼女に最後まで待ってて欲しいって
言ってやらなかったのだろう。
手を離したのは僕の方なのに
今更なのに・・・。
わずかばかりの後悔で
僕の心はいつも満たされていない。
その繰り返しだ。
「不二はやっぱりちゃんを泣かしたね。」
いつだったか遠征試合中に出会ったかつての同僚に言われたっけ。
「そんなんじゃ俺がちゃんを幸せにしちゃうからね?」
ふざけた台詞をそれでもあの時の菊丸は本気だった。
その方がいいのかもしれない。
卒業したばかりの僕には確約された未来も力もなかった。
あるのは無謀な賭けともいえる
高みへのチャレンジ、いや、
もしかするとただの悪あがきだったのかもしれない。
それでも自分の力を試したかった。
毎日が自分の事で精一杯だった。
1年が過ぎ、2年が過ぎて、
やっと世界ランキングが一桁になった時、
それでも満たされない心に浮かぶのは
学生の頃毎日応援に来てくれていたの笑顔だった。
応援するだけで日焼けすると
僕の腕より小麦色になったは白い歯を見せて笑っていた。
僕のテニスが一番スマートなんだと大真面目に言うから
桃城や越前はそのたびに
は見る目がない、と面白くなさそうに息巻いていたっけ。
僕はどれだけ彼女に勇気付けられていたんだろう。
僕はどれだけ彼女に支えられていたんだろう。
思い返すのはいつもの
ちょっと眩しそうに目を細めて笑う顔ばかり。
それなのに学生気分のぬるさから脱したくて、
まるで孤高の戦士が男らしさだと言わんばかりに
大人になるってこういうものだと正当化した。
それで得たものは何だったのか?
否、失ったものの方が大きい事に
目を瞑り耳を塞ぎ心の叫びに気付かぬ振りをして来た。
彼女を振り切る事で大きくなるつもりが
どんなにテニスが強くなっても精神的に
結局は大人になれていない。
どんな強敵を倒しても連勝記録を作っても
ひとつも嬉しいという感情が起きない。
喜べない。
つまりは、一緒に喜んでくれる人がいないからだ。
ひとりで世界に立ち向かって
自分だけの力で上を目指すつもりだったのに
ひとつも強くなっていないのはなぜだ?
僕は自分の弱さを認めなくてはいけない。
そして彼女の力を認めなくてはいけない。
必要なんだと。
この先勝ち続けていくには彼女がいないとダメなんだと。
「何だよ、今頃。」
日本は真夜中だったらしく菊丸は不機嫌そうだった。
「ごめん、寝てた?」
「あったりまえだろ?
謝るくらいならこんな時間に電話すんなよ。」
「うん、でも緊急なんだ。」
「緊急って?」
「2月になったら一時帰国しようかと思って。」
電話口で息を飲む気配がした。
「折り入って頼みがあるんだけど。」
それだけでかつての級友には僕の決意は判るのだろうと思う。
「に会いたいんだ。」
「・・・。」
「に会わせて欲しいんだ。」
「まじで?」
「また泣かせてしまうけど。」
僕の言葉に菊丸はため息をついた。
「不二の前では泣かないよ、多分。」
「それは・・・ちょっと悔しいな。
でも。」
「ん?」
「今までありがとう。」
それは親友に対する僕の素直な気持ち。
「のそばにいてくれて感謝してるんだ。」
「今更何言ってるんだか。」
「は・・・、元気にしてる?」
「ちゃんはいつも元気だよ。
弱みに付け込もうかと思ったけど
ちゃんは不二の事をずっと思ってる。」
「そう・・・。」
「全く不二はバカだよな。
手塚とは違うんだからさ、
ちゃんを一緒に連れて行けばよかったのに。」
「手塚とは違う、か。
そうだね。」
「それで?
直接電話しないの、不二?」
「それこそ今更過ぎて。」
「へんな意地張るからこんな事になるんだろ?
不二はかっこつけ過ぎなんだよ。」
遠く離れた所で呆れたように苦笑いを浮かべる菊丸の顔が
目に浮かぶようだった。
どんな言われ方をされようとも今の僕は動じない。
かっこ悪い自分も全て自分なのだから。
「んじゃ、俺からちゃんに話してもいいの?」
「いや、戻る時に取り敢えず宿泊先のホテルを教えるから
何も言わずにを連れて来て欲しいんだ。
びっくりさせてやりたいし。」
「あー、そうですか。
どうせその後は俺はお邪魔虫なんだろうなぁ。
ま、貸しひとつだからな。」
眠そうに欠伸をする菊丸に予定を伝えて電話を切った。
明日が4年に一度の僕の誕生日という日の夜、
僕は忙しいスケジュールを工面して羽田空港に降り立った。
全く予定外の帰国だったし
菊丸の他には知らせていなかったから
空港には僕を知る人は誰もいない。
明日になれば菊丸がを連れてホテルに来る事になっている。
ちらちらと白いものが舞う東京の夜を
僕は感慨深げにタクシー乗り場までゆっくりと歩いた。
今頃は何を思ってこの夜空を見上げているのだろうか?
なんて、同じ時間同じ空を見上げている保証なんて
どこにもないのについついそんな想像をしてしまう。
そんな僕の背後から足早な足音と共に、僕を呼ぶ声が聞こえて来て
何かの間違いじゃないかと思いながら僕は振り返った。
その時の光景を僕は一生忘れないだろうと思う。
真っ白なフード付きコートを着たが駆け寄って来る。
吐く息の白さと対照的にその頬はピンク色で
昔と変わらない人懐っこい黒い瞳がキラキラと輝いていて。
まるで雪の精か、天使でも舞い降りて来たのだろうかと思うくらい。
その位僕の驚きようったらない。
僕の胸には懐かしさと愛おしさが込み上げてきて
彼女の名を呼びたくても上手く声が出ない。
「周助!」
満面の笑みは久しぶりに見るのに
僕たちの間には時間の隔たりなんてちっともなかったように思える。
「良かった。
行き違いになったらどうしようかと思って。」
上下する肩を引き寄せたいのに
僕の体はあまりの驚きに固まったままだ。
「どうして、?」
かろうじてそう問えばは深呼吸しながら答えた。
「菊丸君に頼んだでしょ?」
「えっ?」
「明日Pホテルでランチしようって言われたの。」
大人びて見えたのは一瞬の事で
まるで悪戯っ子のように僕の反応を見ているは
とても楽しそうに口元が緩みっぱなしだ。
の表情には僕たちがずっと離れ離れだった事実なんて
皆無だったかのように見えた。
それはそれはびっくりするぐらい
は昔僕たちがふざけ合っていた時と変わらないテンションだ。
「菊丸君がそんな事言うの、可笑しいでしょ?
怪し過ぎるから突っ込んだらすぐに吐いたわ。
菊丸君に秘密を共有させるのは絶対無理。」
「参ったな。」
「周助が帰国するって聞いて私がすぐに思った事、分かる?」
「何?」
「明日までなんて待てない、って思った。」
ふわりと笑うその笑顔は学生の頃のままだ。
多少痩せたのかほっそりとしてしまった顔立ちだけど
愛らしい笑みはそれだけで僕の心をほっこりと暖めてくれる。
ただ違うのはがそんな風に自分の気持ちを
ストレートに口に出した事。
「ごめん。」
「周助?」
「僕は本当にバカだ。
かっこつけて大人ぶって君から離れて。
それなのに・・・。」
は黙って首を横に振った。
「周助は悪くないよ。」
「でも・・・。」
「周助は私と別れるつもりだったの?」
「まさか。」
「なら、謝らないで。
私も振られたなんて思ってないから。」
しっかりとした口調では言った。
いつの間にこんなに逞しくなったんだろうって
僕が思ってる事も分かってしまうような。
を驚かせるつもりが逆に僕の方が驚かされて。
何をどうすればいいのか分からなくて戸惑ってると
はクスクス笑い出す。
「で、いつまで友達ごっこのままなのかな?」
「えっ?」
「感動の再会に、ここは恋人を抱きしめるシーンだと
思うんだけど?」
学生の頃は人前で手を握るのだって恥ずかしがって嫌がったが
そんな風にの方から切り出すなんて思わなくて
僕が大きく目を見開けばは両腕をほんの少し開いて待ち構える。
その可愛い仕種にたまらなくなって僕はを力強く抱きしめた。
数年ぶりの抱擁に胸が高鳴る。
「周助、お帰り。」
「ただいま、で、いいのかな?」
僕がそう耳元で囁けば今度は恥ずかしそうに頷くだけ。
それでも僕の背に回されたの手はしっかりと僕を抱きしめている。
の温もりと、この腕の中に確かに存在するそのものに
僕はしみじみと幸せという言葉通りの響きを体感する。
溜まりに溜まっていた精神的な疲れもストレスも
あっという間に浄化されるようで
何で今までに会わないようにしてきたのか
今までの自分の浅はかさに恐ろしく自分が恥ずかしい。
「やっぱりごめん。」
「周助?」
「君から離れて頑張れるはずなんてないんだ。
君はもう僕の一部なんだね。
僕の愚かさを許してくれるかい?」
「何言ってるの?
私はね、こうやって周助に頼られる存在に
なろうって頑張るつもりなの。」
は体を離すと僕の腕を取った。
「ね、ホテルまで私が送るわ。」
「送るって?」
「私、車の免許取ったの。
高速だって運転できるんだから。」
初めて聞く話に僕は呆気に取られる。
はお構いなしに空港の駐車場へと僕を引っ張って行く。
「今はね、英会話と料理教室にも通ってる。」
「えっ?」
「びっくりでしょ?
学生の頃は英語が苦手で嫌いだったけど。」
「どういう風の吹き回し?」
「私も周助の役に立ちたいの。」
の横顔にはかつて僕が守ってあげたいと思った
可憐な危うさはひとつも見受けられなかった。
僕が日本を離れる時、大切に大切に慈しんできた僕の恋人を
見も知らぬ土地に連れて行くのはとても心配だった。
僕は僕で自分の力を試したかったし
決してをないがしろにするつもりではなかったけど
手塚の後を追って早く世界で通用するプロになりたいと
焦っていた僕はとてもを守りきれる自信がなかった。
恐らく僕の恋人は彼女なりに考えたのだろう。
どうすれば僕の足手纏いにならないで
海外で暮らしていけるかを。
「周助には栄養マネジメントが必要だと思うの。
そのためには料理の腕も上げなくちゃならなかったし、
外国で一人で買い物するには運転も英会話も必要でしょ?」
はポケットからキーを取り出すと
中古で買ったという可愛い車を指差して笑った。
「助手席に乗せるのは周助が初めてだよ?」
「大丈夫かな。」
「そう思うなら黙っててね。
話しかけられると道を間違えちゃうから。」
シートベルトを締めながらナビを操作するの手を
僕はぎゅっと握り締めた。
「じゃあ、車を出す前に。」
がこちらに顔を向けた途端、僕はの唇にキスをした。
「愛してる。」
「私も。」
「今までも、今も、これからも。」
「うん。」
は静かに笑っている。
お互いそれぞれの想いが溢れてきて
たまらず黙って2度目のキスをする。
「僕が今、何を考えてるか分かる?」
「うーん、私と同じなら嬉しいけど?」
「そうだね、取り敢えずホテルで一晩中考えようか?」
僕は後部座席にある大きなトランクケースに
彼女の大きな目論見を考えると嬉しいため息をつくしかない。
明日は素敵な誕生日になりそうだ。
The end
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☆あとがき☆
キリ番44444のための作品です。
ひっそりと営業しているサイトなので
キリ番制度も告知はしてないんですが
一応踏んでくださった方のために。
私は2とか4という偶数が好きなので
多分他の方はこんな数字はあまり好きじゃないのでしょうが
そこを敢えてのキリ番にしてました。(笑)
2/29に雪が降る確立は相当低いですが
今年スノータイヤを履いてちょっと
雪を降るのを楽しみにしてる天邪鬼の管理人ですが
どうかこれからもよろしくです。
そして我がサイトツートップの周助に、
お誕生日おめでとう。
2012.2.15.