ハンカチ王子様





今年は例年よりは朝晩涼しい日が続いていてしのぎ易いけど、
それでもやはり日中の照りつける日差しは強くて、
滴り落ちる汗をぬぐう腕はべたべたと気持ち悪い。


は蛇口を思い切り捻ると、Tシャツを肩までたくし上げて、
二の腕まで水で洗い流す。

ついでに顔も洗って手で水気を拭い去ると、
顔を左右に振って、前髪が吸い込んだ水分を振り落とす。




 「使いなよ?」


差し出された水色のハンカチタオルには苦笑する。

聞き覚えのあるその声は、野球部の有坂君。

見上げた彼の笑顔は爽やかで、真っ黒に日焼けしたその色が誇らしげに思える。



 「ありがと。でもすぐ乾くし。」

有坂は少し残念そうにそのハンカチタオルに視線を落とした。

 「テニス部は今、休憩に入ったの?」

 「ううん、まだ。」

 「そう。」

 「有坂君は?今、取材受けてるんじゃなかったの?」


今年の夏の甲子園、青春学園の野球部は初出場で初優勝。

それもこのエースの有坂の投手力で、伝統ある強豪たちを力でねじ伏せたのである。

今や、有坂は超有名人となっていた。


 「ああ、ちょっと抜けてきたんだ。
  今じゃないとなかなかと二人きりになれるチャンス、ないからさ。」

 「え〜、有坂君の方が今じゃ、雲の上の人みたいだよ?
  なんたって、ハンカチ王子様だもんね。」

はそう言うとクスクス笑った。

有坂はマウンド上で汗を拭く時に、いつも小さなハンカチタオルを使用していた所から、
いつの間にやらハンカチ王子の異名でスポーツ誌を賑わせていたのである。


 「その事なんだけどさ。」

有坂は手にしている水色のハンカチタオルをぽんぽんと手の平で弾ませた。


 「このタオル、にもらったって言ってもいいかな?」

 「えっ?」

 「俺、ほんとはに甲子園に応援に来てもらいたかったんだ。
  だけど、テニス部の合宿で無理だったろ?
  だから、甲子園ではずっとこのタオルを持っていたんだ。
  でさ、記者さんたちに、彼女からのプレゼント?って聞かれたから、
  まあ、そんなとこです、って答えちゃったんだけど…。」

 「ええっ!?」


は思いっきりその瞳を大きくさせると、
困ったように有坂を見上げた。


 「俺さ、中学の時からの事、いいなって思ってたんだ。
  高校に入ったら野球部のマネージャーになってもらおうと思ったのに、
  不二とか菊丸とかに邪魔されてさ。
  だけど、、高校野球は見ていて面白いって前に言ってただろ?
  俺、嬉しくってさ、絶対を甲子園に連れて行ってあげたいって、
  そればっかり考えていて…。
  結局無理だったけど、優勝できたら告白しようって決めてたんだ。
  俺、が好きなんだ。
  付き合ってくれないかな?」

本当に直球だと思った。

高校球児らしく、堂々と、それでいて爽やかで、
でも有坂の手の中にある、その水色の物を見ると妙に心苦しくなって、
は返答に困る。


 「返事は今すぐでなくてもかまわない。
  でも、このタオルをくれたのは俺の彼女だって公表するから。
  そのぐらいさせてもらわないと、君はなかなかテニス部の連中から
  解放されないだろうし、ね。」



 「心外だなあ。」


いつの間にやら休憩タイムに入ったようで、
有坂の後ろには不二がにこやかに歩み寄るところだった。

有坂は不二を見とめるや、思わずハンカチタオルを落としたのにも気づかないくらい動揺した。


 「ふ、不二。 いつの間に?」

 「それはこっちの台詞。
  野球部のエースがよくもテニス部の領域内に侵入してくれたものだね。」


全く大袈裟な、とはため息をついて見せた。


 「あのさ、に付きまとうのは止めてもらいたいな。
  有坂もしつこいよね?
  たかだか甲子園くらいでさ。」

 「なんだと?」

 「これ見よがしにそのハンカチタオルでを脅かさないでよ。
  それと同じものなら、僕もからもらってるんだけどね。」

不二はそう言うと水色のハンカチタオルを出して見せた。


 「僕はこの3年間、毎年全国大会にを連れて行ってる。
  君なんかにうちのマネージャーを口説く資格はないと思うんだけどね。
  それとも、初優勝ってことがそんなにすごいことなのかい、野球部は?」

嫌味たっぷりに言うものだから、
有坂は唇を震わせて、目は挑むかのように不二を睨みつけている。


 「前から嫌な奴だと思ってたけど、
  お前こそが迷惑がってるのがわからないのか?
  マネージャーにタオルもらってそれがなんだっていうんだ。
  そんなの普通の事だろ?
  だが俺は違う!
  テニス部以外でこれをもらったって事が重要なんだ。
  不二もめでたい奴だな。
  まあ、いい。いずれは俺のものだ。
  じゃあ、。返事はまた今度聞くから。」

有坂は帽子を目深にかぶり直すと、踵を返して走り去って行った。






 「有坂も結構俺様だよね?」

不二は有坂の落としていったハンカチタオルを拾い上げると、
これ、どうしようか?とに笑顔を向けた。


 「大体さ、なんで有坂にこれをあげたの?」

 「なんでって、余ったから…。」

 「えっ?」

 「それさ、10枚で500円の特売だったのよ。
  レギュラーのみんなに配っても1枚残っちゃったから、
  たまたま有坂君にあげたんだよね。
  まさか、こんなに有名になっちゃうとは思わなかったし、
  有坂君が誤解してるみたいで困ってるんだけど、
  まさか、不二もこれが特別なものだなんて、思って…。」

不二の表情を見たら、その先は怖くて言えなくなってしまった。


 「手塚にもあげたんだ?」

 「まあね、部長だし。」

 「越前にも?」

 「一応、レギュラーだし?」

 「…。」

 「不二?」


不機嫌オーラ全開で、はせっかくさっぱりさせた額に、
またじわっと不快な汗が吹き出るのを感じた。

そうなんだ、不二はこのタオル、特別なものだと思ってたんだ…。



 「あ、あのさ、全国大会に行く時までには
  何か別なもの、あげるからさ。」

 「それって、僕だけに?」

 「えっ、まあ、そういうことになるかな。」

 「特別なものってこと?」

 「そうかも。」

 「マネージャーからってことじゃなく?」

 「そう思いたいんなら…。」

 「今、もらっていい?」


不覚だった。

しおらしくしゅんとしてる不二がかわいくてついつい取りなしてみれば、
いつの間にやら不二の口車に乗せられて、
いつの間にやら不二との距離はたった3センチ。

息をつかせない長いキスに眩暈を感じながらも、
その間中鳴いていたセミの鳴き声に、
セミも意外に肺活量があるね、なんて思っていたことは不二には言わないでおこう。

なんたって、うちの王子様はヤキモチ焼きだから。

全国大会で優勝したら、
きっと不二は大真面目で報道陣のインタビューに答えるんだろうな。

彼女を全国大会に連れて行くのが僕の夢だったんですって…。









☆おまけ☆



 「あ、
  実はさ、有坂がハンカチタオル、落として行ったんだよ。
  君から返しておいてくれるかな?」

 「そう。例のやつ。
  報道陣の前で渡せば効果てきめんだよ。」

 「だって、、有坂の事好きなんだろう?
  野球部のマネージャーとエースの恋なんて、ありがちでいいんじゃない?
  うん、そう。
  既成事実があれば君もやりやすいと思って。」

 「やだなあ。お礼なんていいよ。
  僕は唯、野球部は野球部で幸せになってもらいたいだけだから…。
  クスッ、そういうことだから後で取りに来てね。」





The end


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☆あとがき☆
 夏の甲子園が大好きです。
何かと話題になった「ハンカチ王子」が
ツボにはまりまして〜。(笑)

ああ、今年の夏も終わったなあ…、なんて。
2006.8.27.