君の隣 3
好かれない努力。
そんなのは対外的なパフォーマンスにすぎないはずだった。
マネージャーをしてるだけで付いて回るリスク。
そのリスクを回避するためのささやかな抵抗が
「私は彼に好かれないタイプ」を表明する事だった。
そうする事によってテニス部の正レギュラーたちの熱狂的な親衛隊たちは
マネージャーたちが自分たちの仕事をするために
仕方なく彼らのそばにいる事を大目に見ると言う
暗黙の了解なるものが漫然と存在していたのだ。
けれど、跡部の横にいるだけで、
ほんの一言会話をしただけで
そのリスクは普段のそれよりも比べられないほどひどくなった。
だから、好かれない努力をし続けてきた。
跡部を好きでないと言う姿勢を貫く事が
テニス部マネージャーとしての仕事を円滑にするための
自己防衛策だったはずだった。
本音は全く望んでいない事だったけど。
それなのに、は昨日跡部のジャージに袖を通した時
たまらなく自分が跡部を好きな事を再確認してしまった。
跡部はきっと他のマネだってあの場に居合わせたら
同じように手を差し出し、同じように自分のジャージを貸してくれたのだろうと思う。
でもは無性に嬉しかった。
跡部と自分は選手とマネという単純な立場であったはずだ。
普段から跡部とは口うるさい口論しかした事がなくて、
必要以上に仲良くした事なんてなかったものだから
跡部が、の事を面倒な事とは思わずに家まで送ってくれるとは想像もしていなかった。
だから余計に跡部のぬくもりに包まれてる自分がバカみたいに幸せだと思った。
車の中ではそれこそ幸せすぎて一言もしゃべれなかったけど、
家の前に着いた時に、「熱なんか出すなよ?」と言われた時には
その言葉だけで本当に体温が2度位上がったと思った。
その熱に浮かされたんだと思った。
跡部にはガサツな女だ位にしか見せて来なかったくせに
クッキーなんて忍ばせてジャージを返そうなんて思ったから
ばちが当たったのだろう。
「女なんて思ってねーよ!」
好かれない努力が実っていた事を喜ぶべき所が
これ程までにショックだったなんて、なんて情けないんだろう?
は胸が張り裂けそうという感情を
今この時初めて身を持って知ってしまった。
「ちゃん!」
いつものようにちゃん付けで優しく呼ぶ声がジローだと分かった時、
は正直がっかりしていた。
跡部が追ってくるとは思わなかったけど
秘められた片思いをジローに知られるのは嫌だった。
後ろから腕をジローに捕まれた状態でも
は振り向くことなく下を向いたままだった。
「何で泣いてるの?」
「泣いてなんかないよ。」
「でも傷ついてる。」
ジローの言葉には溢れてくる気持ちで唇を震わせてしまいそうなのを
必死で堪えながら普通にしゃべろうと思った。
「そりゃあ、私も一応女の子ですから。
でも変だよね?
跡部に女だと思われてない事位
百も承知なのよ、いつもは。」
「俺はちゃんの事、女の子だって思ってる。
可愛くて気持ちの優しい女の子だっていつも思ってる。」
「う、うん、ありがと。」
「俺、ちゃんの事、好きだよ?」
ジローはそう言うとの腕を引き寄せて自分の胸の中にを閉じ込めた。
全く予想していなかったジローの行動には驚いて身を捩った。
でもジローの腕はの背中をぎゅっと抱きしめると
の自由を完全に封じ込めていた。
跡部とはまた違うジローの香りには不意打ちを喰らって緊張した。
「俺、前からずっと好きだった。」
「えっ? あっ、ありがと。」
「なんでありがと、なんだよ?
可愛いとか優しいとか、そういう言葉と同じように思わないでよ?」
「だ、だって。」
「俺、本気なんだ!」
「ご、ごめん・・・。」
跡部と仲良くしない分、ジローや岳人たちと仲良くしてきた。
そのジローに本気だと大きな声を出されて初めて知った。
にジローが優しくしていてくれていたのはの事を好きだったからで、
は自分の満たされぬ思いをジローたちと楽しく過ごす時間によって
誤魔化していた事に気づいて困惑した。
ジローに対して申し訳ない気持ちで一杯だったのに
ジローに抱きしめられているの体はジローを思いっきり拒否している。
全身でジローを嫌悪している事に情けなくて涙が溢れてきた。
「ジロー君、お願い、離して。
ごめん、ごめん・・・なさい。」
泣き崩れていくにジローは呆然とその手を離した。
********
「なあ、今日、、なんか変やなかった?」
放課後の部活が終わり、部室で着替えながら忍足が
誰に言うともなく聞いてきた。
「ああ、俺も思った。
なんか元気なかったよな。」
「なんで部活来てへんのやろ?」
「そうそう。何でだ?」
岳人はジローを振り返った。
ジローは返事をしなかった。
気分は最悪だった。
ボレーも決まらない、サーブもアウトばかり、
試合で負けてもこんな気分になった事は今まで一度もなかったのに。
「ジロー、どないしたん?
今日の昼はと一緒やなかったん?」
ジローは返事もせずにジャージをバックに丸めて突っ込むと
まるで八つ当たりにしか見えない感じでロッカーの扉を閉めた。
「・・・。」
「はぁ? ジロー、なんか怒ってる?」
「なんや、と喧嘩でもしたんか?
そういや今日のジロー、調子悪かったみたいやな。」
のんびり笑う忍足と岳人をジローは睨みつけた。
「俺に聞かないでよ!
そんなに知りたいんだったら跡部に聞けばいいでしょ!?」
ジローは吐き捨てるように言うとこれ以上出ない位に大きな音をさせて
部室のドアを乱暴に閉めて出て行ってしまった。
「何だあれ? めちゃめちゃ物に当たってる。」
「珍しいやんなぁ?」
ひそひそとジローの事を言ってる割に
二人の視線は先ほどからちらちらと部室の奥にいる跡部にも注がれていた。
何の事はない、直接跡部に聞けないからジローに聞いてただけだ。
調子の悪い奴はここにもいた。
跡部もずっとイライラし通しだった。
何も書かれていない部誌を前に跡部がシャーペンで
コツコツと小刻みに机を小突く様は滑稽で不気味だった。
が書くはずの部誌。
彼女が今まで自分の仕事を意味もなく放り出した事はない。
雑然と散らかった部室は放っておく事はあっても
テニスの事に関しては手を抜く事はなかった。
それなのに、今の部室はきれいに整理されている。
朝練が終わった時には散らかったままだったのだから
きっとは昼休みにここに来て、
無意味に部屋を片付けた事になる。
何の真似だ、と跡部は眉間に皺を寄せたまま目を閉じた。
その様子を伺っていた部員たちは
結局跡部に声をかける事もなくひとり、またひとりと帰って行った。
どれくらい時間が経っただろうか。
シンと静まった部室の扉が動く気配に跡部は気づいた。
制服姿のを近くで見るのは2度目だと
まじまじと凝視している自分に跡部はため息を付いた。
そんな跡部の前には1通の封書を差し出してきた。
「何だよ、それ?」
その表書きを跡部は眉間に皺を寄せながら読んだ。
封書には退部届けと記されていた。
は跡部と視線を合わせるのを故意に避けている風だった。
「あれぐらいの事で辞めるのかよ?」
「跡部にはあれぐらいの事でも・・・私には違う。」
「お前、そんな柔な性格じゃなかっただろうが?」
の肩がピクリと跳ねる。
まるで今までのとは別人だ。
打たれ強かったが跡部の一言一言に泣きそうな顔をするのが
余計腹立たしかった。
「もう・・・無理。」
「何が無理なんだよ?
お前、今まで好かれない努力をしてしてたんだろうが?」
の好かれない努力のせいで、跡部は今まで
の事なんて何とも思ってなかった。
でも今は違う。
の本質を見抜けなかった自分にも呆れているが
そんな努力をしていたにも呆れている。
けれど一番バカだと思うのはそんな事をしながら
結局後悔してるの姿を愛しいと思う自分だった。
面倒な気持ちだと思ってはいるが
このままを手放す事などできない自分を持て余している。
「マネージャー辞めればいいなんて、短絡的なんだよ。
全く、示しがつかねーだろうが!?」
「ご、ごめん・・・。」
「謝ってすむ問題じゃねぇ。
お前に辞められたら俺が大変になる・・・。」
「そ、そんなの他のマネにしてもらえばいいし、
マネになりたい子なんて一杯いる・・・。」
「! 本気でそう思ってるのか?」
跡部は憤慨した面持ちで立ち上がるとに近づく。
は反射的に後ろに下がるが、跡部はの腕を掴んできた。
「私情を挟まずに俺様に意見できたのはだけだろ?」
「だ、だから、もう無理だって。
跡部が思うようなマネじゃなかったの。
もう普通じゃいられないんだってば。」
「なんだよ、それ。
お前が悪いんだろ?
好かれない努力なんてバカな事やるから
今までそんな風に見て来なかっただけだろ。
俺が悪いって言うのかよ?」
ますます近づいてくる跡部にはうろたえている。
これ以上自分を偽りたくない。
けれどこんな気持ちのまま跡部の横で
マネージャーとしての仮面をかぶり続ける自信はすでに砕かれている。
ジローとだって気まずくなっているのだ。
他の部員とだってそのうち気まずくなるのは目に見えている。
跡部が悪いんじゃない。
全部自分のせい。
わかっているけど溢れてしまった恋心はもう元には戻らない。
「だって・・・。」
「だって、とか、だから、とかごちゃごちゃうるせーな。
他に言う事はねーのかよ?」
「他・・・って?」
「今まで俺に好かれない努力をして来たんだろ?
今度は俺に好かれる努力をしてみたらどうなんだよ?」
「えっ?」
今にも泣きそうだったの顔が固まっていた。
跡部の目が一瞬柔らかく笑ったように思えた。
「俺はもうとっくにお前に魅入られてる。
俺様をもっと本気にさせてみろよ?」
その大きな掌で頬をなで上げられ
跡部の体温と香りに包まれては静かに目を閉じた。
「跡部が、好き。
どうしようもない位好きなの。」
そのままは跡部にしがみつくように
跡部の胸の中に飛び込んだ。
恥ずかしいのは承知の上で、
跡部に馬鹿にされても仕方のない行動だった。
それでも背中に回された跡部の手は優しかった。
シンと静まり返った部室が妙によそよそしく感じるのは
気のせいだろうか。
「、わかってんだろうな?」
衝動的に跡部に抱きついたものの
未だ顔を上げることができないは
跡部の言葉を耳にしながらも動く事ができない。
今跡部から離れてこの顔を見せるのは物凄く恥ずかしかった。
「お前、いつまで引っ付いていたら気が済むんだ?」
「え、えっと。」
両手を跡部のシャツから離しても視線は跡部の足元にしか行かない。
「何、下を向いてるんだよ?
そんな事じゃ先が思いやられるな。」
「し、仕方ないじゃない。
私だって一応女の子なの。
意識しまくりで自分でも自分が良くわからないの。」
「全く、面倒くせー奴だな。」
眼前でもじもじとするを見るのは正直面白かった。
そんな様子を鼻で笑いながらも跡部の瞳は優しげに細められていた。
「これからはずっと俺のそばにいろ。
あいつらの誘いにほいほい乗るんじぇねぇ。
俺の事が好きなら俺のことだけ見ろ。
いいな?」
けれど跡部の口を突いて出る言葉はいつもの調子。
「な、何よ、えらそーに。
人の事、女だと思ってもいないって言ってたくせに。」
「ああ、もう思ってねーよ。
お前、案外胸が大きいんだな。」
クツクツ笑う跡部に思わず抗議の声を上げる。
「あ、跡部の変態!」
「ああ?俺に好かれたいんだろ?
胸が大きくて良かったじゃねーか。
お前ならいつでも抱きついてきていいぜ?」
信じられない、と頬を膨らませるを
今度は跡部の方が抱き寄せてきた。
「信じられないのは俺の方だ。」
跡部の低く呟いた言葉がの耳元をくすぐる。
照れたような跡部にも驚く。
でもそんな跡部がますます好きになる。
そして、もっともっとこの人に愛されたい、
そう思う気持ちでただただ胸が一杯になった・・・。
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☆あとがき☆
いつの間にやら跡部のお誕生月が
過ぎていました。(苦笑)
ジロー君はいつもこんな感じで
申し分けない事この上ないです。
でも跡部とジローっていい友達だと思うよ。
2008.11.1.