LOVING YOU






 「夏らしい事、何もしなかったな。」


台風一過の後、真夏のような照り返しと
うざいくらいけたたましく鳴く蝉の声が戻って来て
8月半ばにでもタイムリープでもしてしまったかのように感じてしまう。

多分蝉は蝉として夏の時間を必死に巻き返しているんだと思うけど
そうやってその一生を終える事ができるなら
蝉としては本懐だろうと思いやる。

でも自分はそれこそ何も夏らしい事ができずにいたから
このまま秋になってしまうのはとても理不尽な想いが付きまとう。

それこそ学生らしい事を何もやらずに
そのまま社会人になってしまって後悔する自分が見えてしまうから
笑うに笑えない。



 「仕方ないよ、留学するんでしょ、は?」

傍らで暑い暑いと文句を言いながらノートで扇いでる
それでも最初のうちは留学なんて羨ましいと大騒ぎだった。

でも私は別にそんなに行きたい訳でもなかった。

前期の成績がたまたま良かったせいで交換留学生として候補に挙がった。

行ってもいいや、位の気持ちだったのに親の方が断然乗り気になってしまった。

こんなチャンスはないんだからと特に母親の方が手放しで喜んでくれて
将来的にも有利な経歴になるんだからと
およそ本人の意思などお構いなしに先生と決められてしまった。

だから夏休み中、英会話の特別授業があると聞いた時には
さすがの私も気持ちが萎えたのだが
留学先で話せないのも不便かと思い真面目に勉強した。

おかげで自分は受験生かと思うくらい夏は遊べなかった。

 「何だかなぁ。
  後で役に立つって分かってても
  この夏、なーんにも楽しみがなかったなって思うと
  女子高生としては貴重な時間を棒に振ったみたいでさ。」

ため息を付いてみたけど一向に気分は浮上しない。

 「来月の文化祭も出られないんだよ?
  ちょっと後悔しちゃうよ。」

私が本音を洩らしてもには通じない。

 「でもさ、英会話ができれば向こうでイケメンのガイジンさんと
  仲良くなれるんじゃない?
  って童顔だからあっちではモテルと思うよ?
  いいなあ、は。
  その時には私にも一人紹介してよね?」

明るく言われてしまうと反論もできない。

それもいいかもしれない。

くすぶり続ける思いを大事にした所で
この先報われる事などないと分かっているのだから。













毎日夏の間決まった時間に私は登校した。

英語の先生の計らいでLL教室の冷房は快適で
私は登校すれば一日中その教室で過ごした。

3階のLL教室からは氷帝学園のテニスコートがわりとよく見えた。

何の楽しみもない私は休憩時間のほとんどを
そのテニスコートで汗を流している意中の人探しに当てていた。

ささやかな想いだった。

氷帝学園に入って初めて跡部に出会ったのは
確か図書室だったと思う。

高校生になったら詩集でも何でも
原書で読んでみるといい、そう担任に言われ
私は素直にその言葉に従った。

英語が特に得意という訳ではなかったけど
中学とは違った事をしてみたかったのだと思う。

加えて、中学とは比べようもないほど立派な図書館に
私は子どもみたいに感動していた。

さすがににもそんな事は話さなかったけど
あの蔵書の多さといい、重厚な建築様式といい、
そして静寂で外界とは異なる別空間のような雰囲気といい、
何もかもが私を虜にした。

書庫の奥は歴史の詰まった書物がひしめき合い
立派な背表紙が今とは違う書物の在り方を示している。

いくつかの棚をゆっくり巡りながら
いくらか当てずっぽうで数冊の本を一緒に抜き取ろうとしたら
すぐ傍にいた人に気付かないまま、
そのうちの1冊に手が重なり合って必要以上に驚いてしまった。

床に落としそうになった本を難なく受け止めてくれたその人が
校内でも有名な跡部だと気付いたのはその特徴的な声で名前を呼ばれた時だった。

 「、お前ドイツ語できるのかよ?」

見れば跡部の手の中には英語だけでなくドイツ語の詩集もあったようで
でも私にはドイツ語の本を取ろうとした意識はなかったから
その綺麗な装丁の本をポカンと見つめるだけだった。

 「何だ、分からずに取ったのかよ?」

 「えっ? あ、うん。」

 「初めて読むならこれはよした方がいいぜ。
  どうせならこっちにしろ。
  辞書があれば文法を知らなくても筋が分かる。」

そう言って選んでくれた本は子供向けの童話だった。

何だか色んな意味でびっくりしている自分がいた。




別にドイツ語の本が読みたかった訳じゃないのに
それからというもの図書館で跡部に会うと
跡部は決まって初心者向けの本を選んでくれた。

強制されてる訳じゃないけれど
跡部と接点が持てるのが嬉しくて
分からない所は英語の先生に教えてもらいながら読んだ。

先生は私がドイツ語に興味を持ったのが余程嬉しかったのか
自分が学生の頃ドイツに留学していた話を何かにつけ話してくれた。

そんな事があったから、留学の話が持ち上がった時は
その先生にドイツを希望してみろ、なんて言われたほどだった。

夏の間英語だけでも必死だったのに
ドイツなんて行った所でどうにもならないのに、と思いながら
でもほんの少し、ドイツ語が話せるようになったら
跡部に近づく事ができそうな、そんな不純な気持ちもなくはなかった。


夏休みの間、テニス部の跡部たちは全国大会があったから
私以上に学校のコートにいる時間は長かった。

彼も頑張ってるんだと思うと自分も、という気持ちになるから凄い。

結局跡部たちはベスト8止まりだったらしいが
窓から見ている分には試合後も練習量は変わらない。

それが苦しくても諦めるな、って言ってるみたいで
夏の間何の楽しみもなかった私は窓から見下ろすテニスコートに
いつも励まされていたように思う。



いよいよ留学の日が迫って来ていて
私は落ち着かない日々を送っていた。

これっきりで氷帝学園と別れる訳でも
友達と一生会えなくなる訳でもないのに
留学と言う期待感よりも、私だけ氷帝の学校生活から疎外されてしまう事が
こんなにも寂しい事だとは思わなかったのだ。

はっきり言えば彼を間近で見られる事ができなくなる日常が、時間が、
切なくなるほど自分の中でクリアに押し迫ってきたのだ。

加えて10月の彼の誕生日には私はもうこの学園にはいなくて
その他大勢のファンでもいいから
一緒になってお祝いする事もできないという、
初めから分かっていた事でさえカレンダーを見るたびに
私を息苦しくさせていた。

となればこれはもう、告白して海外に言い逃げするしかない、
そこまで思ってもやはり私にはそんな勇気はどこにもなかった。

せめて最後にもう一度跡部がテニスしている所を目に焼きつかせる、
そんな事ぐらいしかできない自分が少し情けない。

そう思いながらテニスコートに向かってゆっくり歩いた。

思えば夏の間、校舎の3階からいつも見下ろしていたのに
テニスコートのそばに行くのは初めてかもしれない。

部室の方には行きづらいから
テニスコートが見える脇の道を木陰からそっと覗ってみるのだけど
跡部の姿は見つからなかった。

 「上からだとすぐに分かるのに。」

こんな木陰にずっと立って待っているのも不自然すぎるし、
かと言って部室の方へ行っても用がある訳じゃないから
誰かに声を掛けられても返答は出来ない。

どうしよう、そう思っていたら不意に後ろから声を掛けられた。

 「何やってるんだ?」

振り返れば跡部がテニスバックを持って立っていた。

これから部室に向かうのだろう、まさにグッドタイミング!

でも姿を拝めれば事足りたものを
声を掛けられたら掛けられたらで何を喋っていいか分からない。

 「べ、別に?」

 「別にって。」

 「た、ただ、通りかかっただけだし。」

 「通りかかった風にも見えなかったがな?」

 「ちょ、ちょっとね。」

 「ちっ、誰かに用か?」

少し突っかかるような物言いが珍しくて跡部の顔を見上げたら
真っ直ぐな視線にたじろいでしまった。

 「そんなんじゃないし。」

 「なら、何だよ?」

 「だ、だから、留学するから・・・。」

 「・・・。」

 「その前に友達の顔とか、学校のあちこちとか、
  ちょっと見て回ろうかな、なんて・・・。」

どんな顔をするのだろうと頑張って跡部の視線に耐えてみたけど
跡部の表情は変わらなかった。

そうだよね、私なんて留学してしまおうが、
跡部の日常に関係ないもんね。

そう思ったら胸が痛んだ。

胸が痛むくらいには跡部の事が好きなんだ。

ほんの少しそれをもらしてもいいかな、と思った。

 「だから跡部君の顔も見納めしに来た。」

思いを言葉に乗せたら目頭が熱くなって跡部の顔がぼやけそうになった。

やだ、泣き顔なんて跡部に見せられない。

そう思ったら、跡部の手がポンって、優しく私の頭に乗せられた。

 「そんな寂しい事を言うな。
  会いたくなったら会いに来ればいいんじゃねーの?」

頭に手が乗せられてるから跡部の表情が見えない。

見えないけど凄く優しい言い方にびっくりしている。

 「俺も会いたくなったら会いに行く。」

 「えっ?」

 「夏の間は忙しかったからな。
  これからはもう少し時間が取れる。」

 「それって・・・?」

 「・・・それだけだ。」

強制終了な会話に肩透かしを食らったけど
何だか跡部が照れてるような気がして
まさか、まさかだよね?とこっちまで気分が高まる。

急にドキドキしてきてどうしていいか分からなくなってたら
頭の上の手がちょっと動いて
後頭部から押されて私はスポンと跡部に急接近した格好になった。

そうしたら跡部の腕がぎゅって私の背中に回されて
跡部の顔が私の首元にくっ付いてきた。

信じられない事に跡部に抱きしめられてる。

 「あ、あの?」

 「・・・。」

嬉しくて嬉しくて、でもまだ何も分からない。

私は勇気を振り絞ってそっと聞いてみた。

 「あの、跡部君。
  このまま別れたら私、留学先でもやもやし続けると思うけど?」

 「すればいい。」

 「そんな!」

ちょっと抗議の色を含んだ声を上げれば
耳元でフッて笑われた。

 「か、からかってる?」

 「んな訳ねーだろ?」

 「だって!」

 「お前が留学くらいで泣きそうな顔するからだろ?」

 「だって、跡部君の気持ちなんて分からないし。
  私ばっかり好きなのに
  留学したら顔も見られなくて
  頑張れそうな気がしなくって。」

跡部への思いを口に出したらもっと悲しくなって来た。

恐る恐る跡部のジャージを握り締めたら
バカだなって囁かれた。

 「俺だって今知ったんだぜ、お前の気持ち。」

 「うん。」

 「俺は頑張ってるお前が好きだ。
  応援しててやるから頑張って来い。」

 「うん。」


凄い。

跡部の言葉で気持ちがすーっと軽くなる。

離れたくないけど、もの凄く頑張れる気がする。

今更だけど、お互いの存在しか気にしてなかったら
後ろから独特のイントネーションが耳に入って来て焦ってしまった。

 「何や、跡部。
  こないなとこでラブシーン見せられるとはなぁ。
  火に油を注ぐようなもんやで・・・。」

忍足の呆れたような関西弁で一気に恥ずかしさが倍増してくる。

 「お前には関係ねーだろ?」

 「そう言うてもな、メス猫ちゃんたちがもうすぐ来るで?
  誕生日前に誰かひとりに肩入れしよったら揉めるんちゃうの?」

 「いいんだよ、こいつは。」

 「へ?まさか本命なん?」

 「うるせーんだよ。」

跡部に抱きしめられたままの私には忍足は全然見えなかったけど
逆に私の緩みっぱなしの顔も見せずに済んでほっとしていた。

誕生日に跡部に彼女が出来たって分かったら
一代センセーショナルに違いない。

でも渦中の私は氷帝にはいないけど。

忍足が行ってしまって暫くしてから
漸く跡部は私をその腕から解放してくれた。

恥ずかしくてもどかしかったけど
気分は最高に幸せだった。

 「時間あるなら部活見て行くか?」

跡部に言われなくても見て行こうと思った。

こっそり写メも撮りたいな、と思った。

 「うん、いいの?」

 「まあ、忍足たちには冷やかされるだろうがな。
  今日しかないんだろ?」

 「そうだね。
  跡部君の誕生日にはもう飛行機に乗ってるから。」

 「後でケー番教えるから、いつでもかけて来い。」

そう言って肩に掛けてあったテニスバックを担ぎ直すと
跡部がコートに向かって歩き出した。

私は少し躊躇ってから跡部の腕をそっと掴んだ。

 「何だ?」

 「あのね。その日に直接顔を見て言えないから今言うね。
  跡部君、お誕生日おめでとう。
  大好きだよ。」

精一杯笑顔で言ったら
跡部は不意打ちを喰らった顔になって
あれ、やっぱり前祝なんて変だよね、と後悔しそうになったら
その前に跡部の顔が近づいて来てこっちが驚かされた。

唇に暖かな優しい感触が移って
跡部にキスされたんだとぼんやり思うだけで体は硬直してる。

そんな私に跡部はお前が悪い、なんて呟くけど、
何が悪かったのか分からないまま、いつの間にか手を引かれて歩いていた。

もう留学する前から氷帝に戻ることしか考えられなくなって
それはちょうどクリスマスの時期だな、なんて考えると
それだけでワクワクしてしまう自分が止められそうになかった。






The end


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☆あとがき☆
 なぜか跡部夢をとっても楽しみにしてるって言われて
不二と幸村サイトなのに?と思いつつ(笑)
これは頑張らないと、とプレッシャーでした。
9月はサボってしまったので
ごめんなさいを込めて。(笑)
2012.10.2.