秋風の中で
「不二君!
お昼は一緒に食べてもいいかな?」
教室を出た所で、不二を囲む集団に出会ってしまった。
今日は朝から全校あげての写生大会。
絵が得意でない私にとっては苦痛なこと、この上ない一日なのだけど、
それでも秋晴れの今日みたいな日には
キャンバス広げてボーっとするのは悪くないと思う。
みんな思い思いの場所で自由に描く物を決めていいから
普段お近付きできない他クラスの女子たちは
こうして憧れのテニス部員を捕まえては
できるなら少しでも一緒の時間を過ごしたいと躍起になっていた。
そんな乙女心に共感してあげたいのは山々だけど
いい場所を確保するために急いでる身としては、
廊下の真ん中でキャピキャピと色めき立つのはやめてもらいたいものだ。
私は重い写生道具と小さなお弁当包みを抱え直すと
クラスメイトの不二の背中にできるだけ近付かないように
その後ろをスルリと通り抜けた。
その一瞬、不二がこちらに視線を移したように思ったけど、
不二はあくまでマイペースにのんびりとした口調でやんわりと断っていた。
「ああ、本当に悪いんだけど、もう先約があるんだよね。」
本当に悪いと思ってるのかしら?
何気なく耳に入ってきた言葉に心の中で毒づいてみる。
確かに不二は青学の中でも女子に絶大な人気を誇っていたけれど、
その物腰は柔らかで相手を不快にさせない言葉選びは
例えば手塚なんかは見習えばいいものを、と思ったりもするけれど、
不二の言葉にはいつだってどこかウソが混じっているように思う。
もちろん、不二だってあんなに付きまとわられたらたまったものじゃないんだろうけど、
先約があるなんてほんと怪しいものだと思ってしまう。
その先約した子よりももっと早く、不二と約束を取り付けることが出来れば
誰でも不二と一緒に昼食を取れるとみんなが勘違いしている。
いや、正確に言うと、勘違いさせることによって
今日の平穏を得ているといったところが本音ではないかと断言したいくらい。
といっても、通り過ぎてしまえば不二がどう思っているかなんて
私にとってはどうでもいいこと。
写生道具をカタカタ言わせながら廊下の突き当りを曲がると
私は階段をリズミカルに駆け下りて行った。
空には鰯雲が棚引き、前髪を揺らす風は心地いい程に爽やかだった。
校舎の裏手の庭園の奥深く、茂みと茂みの間にひっそりと腰を下ろせば、
樹齢を重ねた木々の上に旧校舎の屋上がちらりと顔を覗かせている。
私はその絶妙な構図をひとしきりデッサンすると
おもいおもいの水彩絵の具をパレットに順序良く搾り出していった。
来年には取り壊されてしまうその初等部の校舎が大好きだった。
学校の敷地内であればどこを写生してもいいと聞かされた時から
この旧校舎を描きたいと思っていた。
「いい場所を見つけたね?」
不意に言葉を掛けられて膝の上のパレットが滑り落ちた。
「な、何か用?」
指と指で四角い窓を作ってそこから旧校舎を見上げてる不二は
憎らしいほどかっこよかった。
「やだな、約束してたじゃない?」
「約…束?」
「どこで描くの?って聞いたら、
は秘密の場所って答えただろう?」
そりゃあね。
誰にも邪魔されたくなかったからよ。
特に常に女の子たちに囲まれて異常に目立ってる不二には
そばに来てもらいたくなかったから即答したはずだ。
「だから僕はわかったよって答えたはずなんだけど。」
怪訝な顔をしてる私の気持ちなんて全く気にしてないようで
不二は私の隣に座ってきた。
「それのどこが約束したことになるの?」
「うん? だからの秘密の場所で待ち合わせってことだったんでしょ?」
どれだけ過大解釈したらそうなるんだ?
私、そんな事1ミクロンだってあなたには言ってませんが?
って、よくここがわかったものだ。
「今日はみんなずいぶんしつこかったけど
先約があるから仕方ないよね?」
「な、何それ? 私に罪をなすり付ける気?」
「だってウソはつけないし?」
「十分ウソついてるじゃない!」
「やだな、にウソなんて僕はつかないよ?」
にっこり笑う不二に私は頭痛が起きそうだった。
お気に入りの場所で、心静かにのんびりと、
大好きだった校舎での思い出に浸りながら
時間の許す限りぼーっと過ごすはずだったのに…。
「それにしても…。」
「な、何よ?」
「ってさ、あんまり絵は上手じゃないんだね?」
人の描いたものを勝手に覗き込んで笑う不二に
本人も自覚してることとはいえ、そんなストレートに言わなくてもいいものだと
きっ、と睨み付けてやるけど、不二は私の視線などおかまいなしに
男にしてはきれいな指先で私の無骨なデッサンを指し示す。
「だけど、このアングルってすごく惹きつけられるんだよね。」
人気のないこの場所はお気に入りだったのに
今は逆に、誰かこの空気をぶち壊しに来て、と
不二の取り巻き連中にでもすがりつきたい気持ちだった。
あまりにも近い不二との距離。
その体温までも感じてしまいそうな空間と
彼の吐く息さえも甘く感じてしまいそうな空気。
な、何、これ?
これじゃあ私、不二のことをどうにか思ってるみたいじゃない?
「あ、あのね、別に不二に批評されたくないし、
不二の感想も聞きたくないんだけど。」
なんとか平静を装いながらも、暗に不二を拒否したいオーラを
自分なりに出してみたけど、不二のサラッとした髪の毛が視界に入ってきて
なんでこんなに近くに座るのよ、と身を引きたい一身なのに体は動かなくて、
知らず知らず拳をぐっと握り締めていた。
「ああ、気にしないで良いよ。
って絵を描くより写真撮ればいいのになって思っただけだから。」
「そこまで言いますか!?」
「うん、僕も絵は下手だからさ、写真の方が好きだし。
だからも写真、やるといいと思う。
面白いもの撮りそうだし。」
うっ、面白いって何よ?
人をからかうのも大概にしてもらいたいわ。
どこまでもマイペースに話しかけてくる不二に
このまま居座られては本当に困る、と思った。
誰か、不二に対抗できる人はいなかったか?
ハイスピードで不二に勝てそうな顔ぶれを思いつくと
心の中でごめんと両手を合わせていた。
「ねえ、どうでもいいけど、いい加減他所に行ってくれない?」
「僕がここにいてはだめなの?」
「いいなんて初めから言ってないでしょ?」
「だけど、僕もと同じ絵を描きたいな、って思ったんだ。」
「えっ!?そ、それは無理!」
「なんで?」
だってそうじゃない、そんな絵が並べられた日には
私と不二は一緒に絵を描いてました、なんて言ったも同然。
偶然同じアングルになりました、なんて言い訳がまかり通るはずもなく、
不二が勝手に押しかけて来たから、なんて理由も誰が信じてくれるだろう?
「私、不二君じゃない人、待ってるんだけど…。」
必死になって不二に嘘をついていた。
「こんなとこ、彼に見られたら本当に困るのよ。」
「誰?」
不二の驚く顔に、してやったりと思ったのはほんの一瞬で、
その後に色濃く変わってゆく不二の瞳が
怖いくらいに鋭くなっていくのを私は呆然と見つめていた。
「…不二君には、か、関係ないでしょ?」
「誰!?」
再度低く呟く不二の口調には、
名前を挙げなければ不二の視線から逃れることはできないという
無言の圧力を感じた。
「…手塚君。」
「手塚?」
「そう、手塚君!」
手塚には悪かったけどその名を告げれば
不二はおとなしく引き下がるような直感がしたのだ。
けれど、その直感に信憑性はなかったのだと気づいたのは、
不二が無表情のまま自分の携帯を取り出した時だった。
「な、何してるのよ?」
「手塚に直接聞いてみる。」
「えっ、な、何を?」
「僕がのそばにいてもいいかどうか。」
人が狼狽した時ってこんなにも後先考えずに体が動くんだと思った。
手塚に迷惑がかかると思うと私にはその携帯が繋がる前に
不二から取り上げなければならないという
使命感のようなものしかその時にはなかった。
でなければ、こんな、こんな失態…/////
私が不二の携帯に手を伸ばすや、
不二はあろうことか後方に倒れこんだ。
もちろん勢いのついていた私の体も体制を崩して不二の方へ倒れこみ、
わずかに掴んだものは不二の手首で、
生暖かい不二の胸の上にいると察知した瞬間、
すでに敵の手中に私は身動きもできずに抱きしめられていた。
「って大胆。」
くすくす笑う不二の声に私は反応もできない。
「やっ、あ、あの、ごめん。」
精一杯起き上がろうとしたけれど、
すでに不二の右手は私の後頭部をしっかり抱え込んでるし、
左手は腰にぐるりと巻きつけられて
顔はシャツ越しに今度は本当に不二の体温を感じている始末。
「手塚に聞くまでもないよね?
もちろん手塚と3人でもかまわないけど
僕は二人でこうしてられる方がよっぽど嬉しいな。」
「ふ、不二君、馬鹿なこと言わないで。」
「僕は本気だよ。
君がもう嘘をつかないって言うなら離してあげるけど?」
その楽しげな声を聞くと何もかもが無駄なような気がしてきた。
いつからか不二の視線を感じる事が増えてきて、
本能的に避けまくっていたのがばれていたような気がする。
「好きな子がいるんだ。」
顔が火照っているのは恥ずかしいからか嬉しいからか…。
秋風が私と不二の熱を冷ましてくれるかもしれないけど
今はもう上がりっぱなしの体温に病的だと苦笑してしまう。
「それなのに無視されるし、避けられるし、
嘘はつかれるし…。
だけど、それでも好きなんだ。
諦める気はしないし、その子もほんとは僕の事、
とっくに好きなんじゃないかと思ってるんだけどね。
どう思う?」
どう思う?なんて言われても、確信犯的な不二の言葉に今更答えるのも悔しくて、
でも不二に抱きしめられてる状況は嫌じゃなかったから
そのまま目をつぶって体の力を抜いて不二との一体感に身を任せて呟いた。
「不二がそう思うならそうなんじゃない?」
そのまま私たちはお昼までお互いの熱に包まれてまどろんでしまった…。
言うまでもなく、私と不二の絵は未完成のままで
担任にさんざん嫌味を言われて居残りとなり
あっという間に二人の仲は全校中に知れ渡ることとなってしまった。
The end
Back
2007.9.23.