最悪で最良の日
今日は休みたかったな。
校門を抜けてもいつものように昇降口まで行ける気がしない。
時々襲ってくる痛みにしゃがみ込みそうになる。
今更家に戻る気力もなく
1時限目から保健室行きだと諦める。
それでも痛みが軽くなる訳でもなく
仕方なく隅に置かれている木のベンチに座りこむ。
頬を撫でる風は冷たかったけれど
腹痛をしのぐ間は寒さも感じられない。
毎月のことながら自分のやる気を無くさせる腹痛に
深いため息が漏れた。
「おはよう、。」
見ればいつの間にかクラスメイトの不二が近寄って来ていた。
「・・・おはよう。」
いつもなら不二に声をかけられればそれだけで弾む心も
今は会話するのも面倒臭い。
「どうしたの?調子悪そうだね?」
「あ、ううん、別に。」
それだけ言うのがやっとで放っておいてくれないかな、
とそう思ってしまう。
「具合悪いなら保健室まで連れて行ってあげるよ?」
どこまでも紳士的な不二は優しく声をかけて来る。
「ううん、大した事ないから先に行って?」
「そう言われてもそう見えないから。」
不二はゆっくりとのそばに一緒になって腰かける。
「不二君?」
「教室までもたずにこんな所で座り込むなんて
余程なんだよね?」
断定的な物言いにそれでも男子に話す事でもない。
固く口を閉ざせば驚く言葉が相手からもたらされる。
「我慢しないで頼ってくれていいのに。
生理痛は人それぞれなんだし。」
「えっ?」
まさかさらりと不二の口からそんな言葉が出るなんて
思わないから、というより、聞きたくない。
言ってる本人が平気で、聞いてる自分の方が恥ずかしいなんて
どうかしている。
だけど、ただのクラスメイトに、それも男子に
生理痛が酷くて、なんて誰が言えるだろう。
まして密かに片思いの彼に。
「こんな所にずっと居たら体が冷えてしまう。
動けないんならおぶって行こうか?」
ただでさえ羞恥で赤くなってるは
追い打ちを食らったかのようにさらに困惑する。
まさか本気で言ってないよね、と不二を見れば
にっこりと微笑まれ、だけど冗談ではないと思わせる目力が目の前にある。
「だ、大丈夫だから。」
慌てて再度答えればそれは軽く無視をされ
不二は立ち上がると同時にの鞄を持つ。
「じゃあ、一緒に保健室に行こう。」
「な、何で?」
「何でって、見過ごせないでしょ。
、毎月大変そうだったし。」
「ええっ?」
「これぐらいしか僕にはしてあげられないし。」
「いや、だから、何で?」
「姉貴がさ、よく言うんだ。
女の子は毎月大変なんだよって。
だけど生理痛が酷い子は立ってもいられない位なんだから
特に優しくするんだよって。」
片思いの彼に優しくされるのは幸せな事なのに
全然嬉しくない。
不二のお姉さんには会った事はないけど
こんなアドバイスをしたお姉さんをちょっと恨んでしまう。
何もこんな日に、こんな風に・・・。
時折強まる腹痛の波に思わずお腹を押さえているは
見せたくない自分を見られているという事実だけでショックだった。
「あの、こういう時、優しくしてくれなくていいから。」
「?」
「不二君が優しいのは知ってる。
だけど、今は知らない振りしてくれる方がいい。」
唇を噛むようにして言葉を切ると
不二は残念そうにため息をついた。
「そうなんだ。でも。」
まだ何かあるのだろうか?
これ以上不二に何を言われても
疎ましいくらいにしか思えないのに。
普通でない精神状態を分かって欲しくては
痛みを堪えながら不二をしっかりと見つめた。
見つめたというより睨みつけたと表現する方が
正しいかもしれない。
「見て見ぬ振りしてくれていいの!
こんな時に優しくされても全然嬉しくないし。
不二君、どうかしてる。
デリカシー無さ過ぎだよ。」
ただでさえ生理の日には情緒不安定になるというのに、
何だか無性にイライラしてしまって
普通ならこんな言い方はしなかっただろうに
ついつい語気を荒げてしまった。
それでも不二は笑みを崩さなかった。
「うん、ごめん。
でも、だからこそ優しくしたいんだ。」
「えっ?」
「じゃなかったら、大丈夫?って声は掛けても
保健室まで付き添う事まではしないよ。
多分、分かってても見て見ぬ振りするな。」
「・・・。」
「じゃあ、行こうか?」
何だか根負けした感じでは不二のなすまま
ベンチから引き上げられた。
腕を取られてもそれを振りほどくのは
不二の優しさに抗うみたいで躊躇われる。
生理中だと知られてしまってはこれ以上の
羞恥心はもう重ねようがない気がした。
黙って保健室までの道のりを歩けば
不二は再度ごめんと囁いた。
「の事、ずっと見ていたから
が思っている以上に僕は通だよ?」
「通って、何、それ・・・。」
「うん、だからね、、僕の事、嫌いじゃないよね?」
「えっ、なっ!?」
さっき感じた恥ずかしい気持ち以上のものが
まだ自分にあったかと思うくらい顔が火照って来た。
「だって、バレンタインにチョコ、くれたでしょ?」
確かにチョコを不二の机の中に入れたけど
名前は書かなかったのに、どうして分かったのかと
びっくりしすぎて言葉が出ない。
「あの日、好きな女の子からもらえるかどうか期待していたから。」
不二はバツが悪そうに目を伏せながら言った。
「朝、とすれ違う時に
手提げバックの中にチョコらしき包みがあるのをしっかり見ていたんだ。」
「嘘?」
「そうしたら放課後になってそれと同じものが僕の机の中にあった。
名前は書いてなかったけど
絶対からだと思った。」
は思わず立ち止まってしまった。
「あれは本命チョコだよね?」
「ち、ちがっ・・・。」
「僕にくれたもので間違いないよね?」
真正面から向き合う形になってしまって
今更立ち止まってしまった事をは後悔していた。
もはや逃げ道はなくて
自分が秘めていた思いまで全部見透かされてしまったようで
予期せぬ展開にただただ恥ずかしくてたまらない。
こっそりと机の中にチョコを忍ばせただけで
自分の中では達成感と満足感で十分幸せだった。
それがこんな所で気持ちの整理が追いつかないまま
不二に知られることになって何て言えばいいのかわからない。
おまけに体調はすこぶる悪いのだ。
頭も体も不二の言葉についていけない。
「。
誤解のないように言っておくけど
僕はの事が好きだよ?」
「えっ?な、何?」
「だから、僕たちはとっくに両想いだって事。」
びっくりして言葉の意味を頭の中で反芻してみても
とてもすぐには信じられない。
「両・・・思い?」
「だってが僕を好きで
僕はが好きなんだから。」
「ちょ、ちょっと待って。」
ドキドキと騒がしくなる胸が苦しくて
バカみたいに不二を見つめてしまった。
どうしたって本当の事とは思えない。
「何で、何で今、そんな事言うの?」
「何でと言われても、チャンスだと思ったし。」
「でも。」
何もこんな日に告白して来なくても、と
不二に食って掛かろうと思ったらずんと下腹部に激痛が走る。
思わず片手でお腹を押さえこんだら
不二が心配そうにの肩を抱き寄せて来た。
「痛む?」
ああ、何てかっこ悪いんだろう。
好きな人に労わられてるこの状況は何倍も幸せな事だろうに
現実の痛みの前では何の効果もない。
思わずため息が漏れてしまう。
「不二君には分からないよ。」
可愛くない言い方だと思ったけど
こんな日に不二が自分の事を好きだなんて言うから悪いんだと思った。
「うん。
の痛みを分かってあげられなくてごめん。」
それなのに不二が本気で謝って来るからは力が抜けてしまった。
チラリと顔を動かせば真っ直ぐに自分と向き合う不二の顔があった。
「そうじゃなくて。」
「何?」
「何もこんな最悪な日に言わないでよ。
私、かっこ悪すぎて情けないんだから。
痛みに任せて不二君に当たってるし。
両思いだなんて言われてもピンと来ないし。」
「えっ、それは困るな。」
の最後の方の言葉に不二は敏感に反応して首を傾げる。
さらりと流れる不二の前髪に目を奪われながら
は固唾を飲む。
憧れの君が今目の前にいる。
その事実だけは夢でも幻でもない。
「せっかく二人っきりになれたと思ったから
早くに確かめたかったんだけど。」
もう呆れてぐったりと疲れてしまう。
早く保健室のベッドにダイブしたい気分だ。
「取り敢えず保健室に急ごうか?
これ以上最悪な日にしたくないしね。」
それには同感するとばかりには頷くと
お腹を押さえたまま保健室まで不二と共にのろのろと歩き出した。
保健室のベッドに横たわるとやっとは人心地がつく思いだった。
布団の中が温まって来ると腹痛も和らいでくる。
と言うよりも、腹痛が治まるスピードよりも
さっきの場面がまざまざと蘇ってきて
気づけば不二の事ばかり考えている。
酷い事を言ってしまったと後悔してみたり、
不二に嫌われたのではないかと不安になったり、
不二が嘘を言う訳ないと分かっていても
あれは本当の不二ではなかったのではないかと疑ってみたり。
そのたびに浅はかな自分に青くなったり赤くなったり。
ますます気持ちの整理はつかなくて
次に不二に会ったら普通に喋れるだろうかと
悶々としているうちにいつの間にか考える事に疲れて眠ってしまった。
遠くの方でチャイムの音が聞こえたような気がして
ぼーっとしたまま目を開けば廊下のあたりが騒がしい。
一体今は何時なのだろうと時計を探せば
ベッドの傍らに不二の姿を認めての視力は
突然クリアなものに変わった。
「ぐっすりだったね。」
不二の言葉に今日何度目かの恥ずかしさがまた込み上げてくる。
「ね、寝顔、見てたの?」
「うん。」
「ひ、酷い。」
悪びれずに微笑む不二が眩しくて
目の下まで毛布を引っ張り上げる。
「可愛かったよ。」
「な、何でここにいるの?」
「何でって、が心配だったから。」
そんなセリフに顔中が熱くなる。
「それと。教室にいるといろいろ煩わしくてね。」
眉を顰める不二に、ああと思い当たる。
「いつもの事だと思うけど?」
今年は29日はないけれど、不二に誕生日プレゼントを渡す行事は
なくなる事はないのだろう。
不二も大変だなと思うけど。
「いつもの事・・ね。」
「慣れてると思った。」
「慣れるって言葉はどうだろう?
知らない子にプレゼント渡されても別に嬉しくないし。
でも、今年はに祝ってもらえると思うと
凄く楽しみではあるんだけど。」
「えっ?」
「だから、両思いなんだし、
できればみんなに僕の彼女だって公言したいんだけど?」
「ええっ?」
冗談とは思えない自信たっぷりな不二の顔に絶句してしまう。
そして今更ながらに本当に両思いなのだと確信しない訳にはいかない。
「本当に・・・?」
「夢だと思ってる?」
「だって。」
「実感がわくまでずっとここにいようか?」
人の心拍数を上げるのがそんなに楽しいのだろうか、
と嫌味を言いたくなるほど、不二は嬉しそうに言う。
このままここにいれば確実に熱を出しそうだ。
「そういう事言わないで。」
はゆっくりと起き上がるとベッドから降りるために
上靴を履くと、不二は当然のように手を差し出してきた。
「もう平気?」
「平気じゃないけどさっきよりはいくらか大丈夫。
でも不二君は先に教室に戻って?」
差し出された手を取ることなく立ち上がれば
不二はどうして?と畳み掛ける。
「だから、そこは察してよ。」
「ああ、トイレに寄りたいとか?」
「わ、分かってるなら口に出さないでよ。」
もう恥ずかしくて、何で不二君とこんな話をしているんだろうと
ため息が出てきてしまう。
ロマンチックな欠片もない。
「じゃあ、僕の気持ちも察してよ?」
「はい?」
それなのにいきなり突きつけられた難問に
の心拍数は本人の意思に関係なく速度を増す。
ロマンチックな欠片もないと思ったばかりなのに
不二の両手がの肩に乗るや
いきなり保健室中が甘いムードに包まれる。
「君にとっては最悪な日かもしれないけど
僕にとっては最良の誕生日だよ?
好きな子とこうして一緒にいられて、
しかも二人っきりで・・・。
僕がどうしたいか、分かる?」
「えと、あの。」
頭を振れば目を細めて笑みを漏らす彼。
かっこ良すぎる不二に目を奪われて声も出ない。
「が好き。
抱きしめたい。
キスしたい。
デートしたい。
が分かってないみたいだから口に出してみた。
でも、今日はこれだけでいいよ。」
不二の言葉に真っ赤になっているを
不二は優しく抱きしめてきた。
「ね、。
おめでとうって言ってくれるかな。」
耳元で囁く不二には小さく頷いて見せた。
最悪な日もこれできっと最良の日になる。
も恥ずかしかったけど勇気を出して
不二をぎゅっと抱きしめ返した。
誕生日、おめでとう!
The end
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2013.4.5.