チョコレート疑惑  幸村Vr.







 「先輩。」


ふわふわとした漆黒の髪を跳ねさせながら
1年の切原赤也が人懐っこい笑顔で近づいて来た。

テニス部の男女合同ミーティングが終わるのを待っていたのだろう、
が部室に入る前を狙ってタイミングよく声を掛けて来たらしい。

 「どうしたの、切原君?」

 「あ〜、ちょっと聞きたい事がありまして。」

中学まではかなり粗忽だった彼も、
今は来年の次期部長と噂されてるだけあって礼儀正しい赤也に
昔を知ってるはどうしても彼に会うと調子が狂ってしまう。

もちろん反抗的だった赤也は好きではなかったが
あの頃の先輩後輩省みず、屈託なく話しかけて来た頃とは随分違ってるから、
人懐こい黒い瞳は可愛いままなのに大人っぽくなってしまった赤也には
逆にどう接したらいいかわからなくなる時がある。

親友のに言わせると
赤也は絶対の事が好きなんだよ、と断言するけど
でも赤也はにそのような事を仄めかした事はまだない。

 「聞きたい事って?」

 「えっと、その。」

言いにくそうにもじもじする赤也の態度には目を見張る。

落ち着いたと言っても、こんなに歯切れの悪い言い方は赤也らしくない。

 「そんなに言いにくい事なの?」

 「いや、そう言う訳じゃ。
  あー、でもやっぱ・・・。」

図体だけでかくなった所でまだまだ子供だ、
と言った幸村の言葉が思い出されて口元が緩んでしまう。

いつの間にかを追い越してしまった赤也の顔を
覗き込むように見上げたら赤也の視線は定まらず
焦ったようにガシガシと頭を掻きだした。

 「あの、先輩は、
  こ、今年のバレンタイン、どうするんスか?」

 「えっ?」

思いがけない質問には何度も瞬きをしてしまった。

 「今年は女テニからの義理チョコはないって聞いて。」

 「ああ、義理のバレンタインとホワイトデー、辞めるって話ね?」

 「そ、そうッス。」

 「うーん、女テニとしては男子にお世話になってるから
  続けてもいいんじゃないかって声が多いんだけど、
  真田とかさ、ほら、お返しも大変みたいだし、
  負担なのかなって・・・。
  テニス部としてはそういうの、なしなしでいいかな、ってなってね。」

 「そうみたいッスね。」

ぼそりと相槌打つ赤也はなんだかつまらなさそうだった。

 「切原君は義理でもいいから欲しかったって事?」

 「い、いえ、そうじゃなくて。」

 「うん?」

 「義理チョコなくなるんなら、
  先輩のチョコだけもらえたらなって・・・。」

 「えっ?」

軽く冗談を言ったつもりが赤也は本気らしい。

のポカンとした表情に赤也は焦ったように早口で喋りだした。

 「えっと、その、ほら、先輩、
  お菓子作りとか上手だし、
  俺、毎年楽しみにしてて、
  もらえなくなるのすっごく淋しいって言うか、
  他の人の作った奴は別に欲しくないんスけど、
  先輩の作った奴だけ食べたいって言うか。
  あー、その、ただで貰おうなんて思ってないッス。
  俺、友達から映画のタダ券貰ったんで
  先輩、確か前に封切されたら絶対観たいって言ってた奴だったから
  一緒にどうかな、なんて・・・。」

緊張してるって言うか、あがってるような赤也の勢いに
はそう言えば前にその映画の話を持ち出した事があったっけ、と思い出す。

あの時、傍にいた赤也が俺も観たかった映画だと嬉しそうに言ったら、
幸村が、ああ、それ、前評判の割りにそんなに面白くないよ、
と茶々を入れてきたんだ、という余計な記憶まで蘇ってしまった。


 「それってをデートに誘ってるつもり?」


不意に割って入って来た台詞の主に赤也もも唖然としてしまう。

一体いつの間に近づいて来たのか
涼しげな顔をして腕組みをしている幸村は
それでもその目つきは怖すぎるとは思った。

でも、それはいつもの事だけど。


 「ゆ、幸村部長?」

 「ああ、別に俺は立ち聞きしてた訳じゃないからね。
  はい、
  これ、次の校内試合の草案。」

 「えっ?もう?」

 「さっきのミーティング中に柳に纏めさせた。
  日程は早めに教えて欲しいと言って来たのは女テニだろ?」

卒業する先輩たちの追い出し会を兼ねて
ミクスド大会をやろうと言い出したのは幸村だった。

来年度の県大会・関東大会が始まる前のほんの息抜きと称して
普段やらない事をしようという案に賛成はしたものの
男子が女子に合わせてくれるのかは半分期待はしていなかった。

 「俺のミクスドのパートナーはだから。
  それと、あんまりみっともない試合したくないから
  今日から少しずつ一緒に練習したいんだけど?」

 「ええっ? 今日から?」

あまりにも突然の申し出に、渡された資料に目を通す
詰まってるスケジュ−ルに根を上げた。

 「ちょ、ちょっと、これ無理じゃ・・・。」

 「そんなはずはないよ。
  でもミクスドなんだから女テニは少し真面目に練習してもらわなきゃ。」

 「だって休みが全然・・・。」

 「だから言ったじゃない?
  バレンタインに現を抜かす暇はないから
  今年はその負担を排除するって。」

別にバレンタインデーが悪いとは言わないけど
女子はこの時期浮き立ちしすぎだよ、と暗に皮肉を言われた気がした。

そうは言うものの、女の子たちにとっては1年に一度のイベント。

男子テニス部の想い人の少しでも近い距離にいたいがために
女子テニス部に入ってる子だって少なくないのだ。

義理チョコがだめならそれぞれ本命チョコに賭けるしかないのだし。


 「幸村部長、ちょっと待って下さいよ。」

 「何、赤也?」

 「義理チョコがだめなだけっしょ?」

赤也の言葉に幸村は冷たい笑みを浮かべた。

 「義理チョコ以外に何を貰えると思ってるの、赤也?
  その義理チョコも今年はないんだよ?
  そんなにはっきり言ってもらわないと解らないくらい
  バカなのかな?」

 「むっ。なんスか、それ!」

 「だから、本気でも勝ち目ないよ、って言ってるだけ。」

 「そ、そんなの、まだわかんないじゃないッスか!」

顔を真っ赤にして怒る赤也が不憫に思って、
は思わず口を挟んでしまった。

 「ね、ねえ、何もこんな所でケンカしないでよ。
  それに幸村もひどいよ。
  バレンタインは女の子にとって大切なイベントだけど
  男の子だって楽しみにしてるイベントなんじゃない?
  何も全否定しなくたっていいじゃない?」

 「わかってないね、
  好きな子からチョコが貰いたい。
  好きな子にチョコをあげたい。
  そんな一方通行なイベントなら別に2月14日じゃなくてもいいだろ?
  どうせみんながみんな、いい思いをするイベントじゃないんだから。」

全く不毛だよ、と言いたげな幸村の口ぶりにもムッとする。

そりゃあ、あれだけモテル幸村なら
たくさんのチョコを押し付けられるだけで嬉しいなんて感情は起こらないのだろうけど、
それにしたって人のチョコの事まで意味がないだなんてあんまりだと思う。

 「じゃあ、に聞くけど
  映画に誘われたらは本命チョコを赤也に贈るの?」 

 「えっ?」

 「幸村部長!
  別にそんな事、今聞かなくったって・・・。」

 「何、赤也?
  そういうつもりなんだろ?
  映画に誘ってお礼と称してチョコをねだって
  それが本命じゃなくてもそれをきっかけにしようと思ってる。
  そんなところだろ?」

赤也の下心なんてお見通しと言わんばかりの冷笑に
さすがに赤也も黙り込んでしまう。

確かに義理チョコを貰って嬉しいかどうかはわからない。

告白した女の子たちの想いが全部実る事だって100%じゃない。

バレンタインに踊らされて涙する子だっているはずだ。

だけど幸村の言うように全部否定されたら
1年間苦しい思いを溜め込んだ女の子たちはそれを形にできなくて
もっと苦しい片思いを続けてしまう。

区切りをつけるためだけのイベントだって立派な意義があると思う。

多分男の子だってそうだと思う。


 「俺・・・先輩の事が好きッス。」

意を決したように赤也がぼそぼそと口に出した言葉は
うすうす気づいていた後輩の正直な想いだった。

 「俺、ずっと憧れてました。
  だけどチョコをねだる位の勇気しかなかったッス。
  超えたくてもなかなか超えられない先輩たちが周りにいて
  それでなくても見劣りするような気がして。
  でも先輩は誰かの彼女になる事もなくて
  だったら、少しずつでもいいから
  先輩に俺、男として見られたいって・・・。」

突然の切原の告白に、それでもやっぱりそう思ってたのか、という
前々から解っていた事には、どう対処するべきか瞬時に考えて
やんわりとその答えを口に出した。

 「私、切原君に映画誘ってもらって嬉しかったよ?」

 「先輩・・・。」

 「映画のお礼に手作りチョコがいいっていうなら作ってあげる。」

 「!」

赤也の告白中微動だにしなかった幸村が一言鋭い叫びを上げたが
は幸村の顔をちらりと見上げるとほんの一時
幸村の表情をじっと見つめて、やがて赤也の方へ向き直ると優しく微笑みかけた。

 「でもそれは本命チョコじゃないの、残念だけど。
  切原君の事、立海テニス部の優秀な後輩だと思ってる。
  この先もずっと可愛い後輩だと思う。
  それじゃあ、だめかな?」

の言葉に赤也は俯いた。

少なからず失恋の痛みにしょげている横顔に罪悪感を覚えるものの
ボロクソに負けたテニスの試合後も立ち直りの早い赤也なら
きっと大丈夫だと思う気持ちがあった。

唇をきゅっと噛み締めたまま動こうとしない赤也を見て、
幸村は何事もなかった風にパンパンと手を叩いた。

 「さあ、この話はこれでお終いだ。
  赤也は先にコートに行くんだ。
  今日は特別に俺たちのミクスドの相手をさせてあげるよ?
  には言ってあるから一緒にアップしておくんだな。」

女テニの副部長の名を告げると赤也は黙って踵を返した。

その背中は淋しそうだけどテニスができなくなる訳じゃない。

走り出した赤也の姿をと幸村は黙ったまま見送っていた。









 「で?
  これでよかったのかな?幸村部長さま?」

 「さあ、何の事かな。」

 「いきなり私に丸投げするような事辞めてよね?」

 「別に丸投げした訳じゃない。
  赤也が勝手にフライングしたんだろ?」

 「でも、ちゃんと言ってやれ、みたいな顔してた。」

 「だからっては詰めが甘いよ。
  あれじゃあ、きっと赤也の事だから
  絶対映画だけは行くって言い張るよ?」

 「いいじゃない。
  私、赤也の事好きだもん。」

が膨れっ面のままそっぽを向けば
幸村の眉間には今はっきりと不機嫌のオーラを纏った皺が寄る。

 「私、あの映画、本当に観たいんだもの。」

 「だからって。」

 「残念ね。
  幸村、あの映画、つまらないって言ってたものね?
  そうじゃなきゃ、3人で行っても良かったのに。」

 「赤也と二人っきりなんて絶対許さないよ?
  俺が阻止してやる。」

 「何訳わかんない事言ってるの?
  大体なんでそういつも赤也に対して意地を張るの?
  将来有望な可愛い後輩、しかも幸村の弟分じゃなかったの?」

 「そう思ってるから余計腹が立つんだよ。」

ぷいと顔を背ける幸村の顔はなんだか拗ねた子供のようだった。

まるでヤキモチみたい。

その言葉に思い当たってはしげしげと幸村の顔を見つめ直した。

まさかね、そんな事あるはずないけど?

 「大体バレンタインもクソくらえだ。」

 「な、何?」

 「何でもない。
  早く着替えて来いよ。
  赤也の事、ボッコボコにしてやるんだ!」

冗談ともつかぬ声で幸村が吐き捨てるように言った。

はため息をつくと女子の部室に向かった。



その日の練習はミクスドの練習初日にしてはかなりハードだった。

柳にペースが早いだろ、と注意されても幸村はその手を緩めることはなかった。

と言っても彼はコート内に私情は持ち込まない。

いつも通り冷静な判断で的確に赤也の弱点を突いていく。

そしてそれは幸村の後輩への愛情だとは理解していた。

理解はしていたが、ミクスドという事を忘れたかのような練習に
足はもつれ、息は切れ、赤也同様幸村は鬼だと恨みがましく見上げてしまう。

明日がバレンタインだというのに
今年は何の準備も出来ていない。

出来ていないどころか、家に帰る気力も残ってない。

ああ、でも大量の義理チョコは作らなくてもよくなったんだ、
と気づいて可笑しくなる。



 「、そのままだと風邪引くよ?」

 「あー、うん、そうだね。」

ベンチの背もたれに体を預けて夕闇を見上げていたら
幸村の顔が近づいてくる。

幸村の真面目な顔はあまり見たくないと思う。

本当に何を考えてるか解りにくいから。

赤也をしごきたいなら別メニューにすればいいものを
ミクスドの大会がある訳でもないのに、
それこそ身内の余興みたいなミクスドのために
なんでこうも自分がしごかれているのか解らない。

確実に2,3キロ、体重は減って嬉しいかも知れないけど。

 「着替えないの?」

 「着替えるのも面倒臭い。」

 「体力ないな。」

 「誰のせいよ。」

そうむくれて見せたら幸村はどかっとの座るベンチに座って来た。

そして手の中のホットチョコレートをに差し出した。

 「何、これ?」

 「疲れてるみたいだから糖分補給。」

 「あっ、そう。」

無愛想に答えてみたものの、その暖かい飲み物はありがたかった。

たまに優しいところがあるよね、と思うけど口に出すのは止めた。

缶に書かれてるチョコレートの文字が少しだけ気恥ずかしい。

そんな風に思うのは自信過剰かなと隣を見やれば
やっぱり真面目な顔つきの幸村に出会う。

 「何?」

 「それ、俺の気持ち。」

 「えっ?」

 「の事考えると熱くなるから
  俺のチョコは液体なんだ。」

一瞬何だろうと思ったけど、あまりのセンスのない告白に
はぷっと吹き出してしまった。

 「笑うなよ?」

 「だって、バレンタインなんてクソ喰らえだったんじゃなかったの?」

 「だって嫌になるくらいたくさんのチョコを貰うのに、
  本命からはもらえないからね。
  でも今年は逆チョコが流行ってるって柳が言ってたから。」

 「幸村がそんな事するなんて信じられない。」

 「だよなあ。」

ため息つく幸村もと同じように背もたれに両手を横に伸ばして
ふんぞり返るように夕空を見上げる。

 「赤也が突っ走るからさ、なんか調子狂うんだよ。」

 「赤也のせいなんだ?」

 「違うな。
  が素直じゃないからだ。」

何、それ?、と問いただそうとしたら
ベンチの背もたれの上部に置かれていた幸村の右手が
ぐっとの右肩を引き寄せた。

はずみで幸村の胸にの顔がくっ付く。

 「別にチョコが欲しい訳じゃないから。
  でも、には俺の事好きだと言ってもらいたい。
  ああ、これじゃ、赤也と変わんないか・・・。」

ため息つく幸村は普段とは全然違ってて
でも考えてる事が丸わかりで何となく嬉しい、とは思った。

プロに最も近い高校生としてもてはやされる幸村だが
付き合うなら普通の男の子としての幸村と付き合いたい、
そうこんな風に部活後にちょっぴり背伸びした、
でも気恥ずかしい感情を共感するような。

 「幸村も普通の男の子だったんだねぇ。」

 「悪かったな。」

 「ううん、そういう幸村、好きだな。」

がそう答えると幸村のほっとするようなため息が聞こえた。



手元のチョコレートドリンクが冷める事はないような気がした。










The end



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★あとがき★
 今日チョコレート売り場を見たら
「遅れてごめん」売り場になっていた。(笑)
諸事情で今日チョコレートを渡す子もいるんだね。
私のチョコレート、届いたかなあ〜。
2009.2.15.